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(この本から一部引用)


【5】 嫉妬する母―芽を摘まれる娘


性的存在である娘を汚らわしいと考える母もいる。

ブラジャーをわざと購入しない、生理があったことを

無視するといった行動をとるのだ。

当然、娘は初潮の経験を母には伝えられない。

友人の母に打ち明けて、こっそり生理用品を買うのだ。

カウンセリングで出会う女性たちの多くが、こういう経験

をしているので驚いたことを憶えている。


ある女性は、忘れられないエピソードとして語った。

小学校で算数の試験が九二点だったので、先生に

ほめられた。

それを家に帰って母に伝えたら「いい気分になるんじゃ

ないよ、算数の点くらいで」と一蹴されたという。

よろこびで一杯に膨らんだ風船を、一気につぶすような

母のひとことだった。

その瞬間の天国から地獄に突き落とされたような感覚を

彼女は今でも憶えている。


このように、娘が人生で喜びを味わうたびに、丹念に一つ

づつ潰しているとしか思えない母がいる。


娘が結婚すると、どこかほっとした顔をしたりする。

「これで娘も世間並みの女の苦労をするだろう」という安堵感

が、そこから読み取ることができる。

妊娠したりすれば、もっと喜ばしいに違いない。

世間からは、孫が生まれるのでよろこんでいると思われるので

実に都合がいい。

「あなたを生んでどれほど私が苦労したか。やっと同じ苦労を

味わう立場になったわね、いい?女に生まれるということは

こういうことなのよ」


嫉妬する母は、嫉妬を自覚することはないだろう。

なぜなら自覚したとたんに、それは娘に対して負けを認めた

ことになるからだ。

嫉妬は、自らの劣位の自覚によって起きる感情である。

だから母たちは、仔細なひだの中に、日常の些細の中に、

そっと毒針を仕込んで娘を刺す。


母がカウンセリングにやってくるのは?


カウンセリングの場に墓守娘たちの母親が訪れることは稀だ。

なぜなら、母たちは墓守娘がじっと支え耐えてくれているので

全く困ってはいないからだ。

それどころか、あらゆる苦悩や寂しさ、虚しさといったものを

遮蔽してくれる娘という存在がいることで、人生の果実(とは

言ってもつつましやかなものなのだが)を十二分に味わっている。


しかも、娘に支えられている安寧を手放したくないがために、

時には「この上なく不幸である私」というポジションをなかなか

手放さない。

それさえあれば、決して娘は遠くに去らないだろうとばかりに。

娘はまるで見えない鎖でつながれているか、GPSで居場所

を探知されているようなものである。


では、どういう時に母親はカウンセリングにやってくるのか。

ひとつは、娘に問題が起きたときだ。

摂食障害、リストカットのような、娘が自分を傷つけるような

行動を起こした場合は、さすがの母たちも驚いてカウンセリング

にやってくる。

このような問題行動・症状につきものとして「母への攻撃」が

セットになっている。


時には、病気にならなくても母親がやってくる場合がある。

それは自分の思い描いていた人生行路から大きく娘が外れた

場合、もしくは外れようとしている場合である。


たとえばこんな例だ。

大学院まで出した娘が、バイト先で知り合ったフリーターの

年下男性とつきあい始めた場合。代々続いた旅館を継いだ

母親は、長女を必ず後継者にと考えていたのに、アメリカに

留学したまま日本に帰らないと言った場合。

キャリアを積む娘が「ママ、私は絶対結婚なんてしないからね」

とつぶやいたとき……などだ。


◆理解されることを断念してみる


「お母さん、どうか私の言うことをわかってください。

私はお母さんの言うとおりにはできません。こんなにつらかった

ことを、お母さんだったらわかってくれるでしょ」と母には言いたい

のだ。思い切ってこれまでにないきつい口調で言えば、母も

びっくりして理解しようとするだろう。

そうすればもっと母親と仲良くできるかもしれない。

「だってたった一人の母親ですから……」

これが墓守娘たちの、正直な願いなのだろう。もっともである。

それが可能であれば私もせいいっぱいの助力と支援を惜しまない。


「勇気を出してそう言ってみましょう。お母様もきっとわかって

くださるでしょう」こう言いながら背中を押してあげたいのは山々だ。

しかし、残念ながら私はそんな甘く楽観的な考えをもってはいない。


長年のKGやアダルト・チルドレンのグループカウンセリングでの

経験をとおして、母親たちが最後まで親という立場(権力)を手放す

ことはないという現実に直面し続けてきたからだ。


よほどのこと(たとえば娘の自殺未遂、傷害事件など)が起きれば、

世間体と引き換えにそれを手放して、「悪い親だった」とよよと泣く

ことはあるかもしれないが。


クールに現実を見据えれば、そんな甘い期待であなたたちを満たす

ことはできない。

おそらく墓守娘たちは、これまで何度も経験してきた「やっぱり無理

だったのか」という失意のどん底に落とされるだろう。


それもいい経験だからやってみましょうなどという残酷なことばを、

カウンセラーとして私は伝えることができない。そしてこう言う。


「できれば、この場で私に言語化してください。ここは安全ですから。

お母様に直接伝えたい気持ちはよくわかります。でもそれをストレート

にぶつけてもおそらくあなたがもっと傷つくだけかもしれません。

まして外の世界でそれを言えば潰されるかもしれませんから」


あなたたちの怒りは、時と場所をこのように慎重に選ばなければ、

安全に表出することは難しい。

彼女たちの怒りの基本にある認知は、とうてい許容されるはずも

ないだろう。


(ここまで)



この本を読んで、少しラクになった。

母親がどう考えていたのか少しわかった気がする。


恥ずかしいけど、最初にあったブラジャーを買ってくれない。

生理用品を買ってくれない。

父親がいる前で、わざと大きい声で「生理になったの?」と言う

など、後から考えても理解できない母親の行動がありました。


それに私のことを怒る時に、わざとベランダの窓を開けて

外に向かって怒鳴り声を出す。

そして「○○君(同じ団地に住んでいる幼馴染の私が好きな

男の子)がお前が怒られてるって思ってるぞ」と言う。

私は急いでベランダの窓を閉めて歩くという不思議な光景が

あった。


今までのこと、この本を読んで、母親は私を縛り付けたかった

のだと思う。


自分に従う、自分より下の人間は私だけだから。


だから私に、とりあえず3年は勤めるもんだ。我慢して勤めろとか

学校に我慢して行けだとか世間体を気にしてるかと思えば、

私がやりたい仕事をしたり、一人暮らしをちゃんとしていたり

結婚したり、私が一人で子育てしたりすることをエライとか

すごいとか認めたくない。


聞こうともしないし、聞いてもそれを褒めることは絶対しない。

それどころか、あら探しをして、私のちょっとしたダメな部分を

子供の時と同じように責め立てる。


自分(母親)がお金があるなら、お金で私のことを縛ろうとする

だろうけど、お金がないので、私がダメな人間だと思わせて

自信なくさせて(母親にそんな自覚があるのかわからないが)

自分(母親)に私が頼る。依存するように仕向けたかったのでは

ないかと思う。


とにかく母親は自分より私が上だったり、知ってたり、できたりする

ことが嫌だったんだと思う。


そうなったら私が母親から離れて、自分を頼ってこなくなる。


私は母親に従う人間、母親のサウンドバックで、母親が自分に

自信を付けるための道具だったのだと思う。


母親が自分が誇れる仕事をしていれば、また違ったのかもしれない

けど、そういうのがないから、母親は自分は子供をちゃんと育てて

いるという立場をずっと保ちたかったのではないか。


でも自分(母親)は子供に勉強を教えられるほどの頭もない。

子供の進路、就職を子供(私)よりも知っている、考えれるわけでも

ない。


お金があれば、お金で子供を自分に繋ぎ止めようと思う。

お金がないから、権力(言葉の暴力)などで子供に自信をなくさせ

自分に従うようにさせたかったのではないか。


母親は、自分がダメな親だと思われたくないから世間体を気にして

私に言うけど、それでたとえ私が母親の思うようにやったとしても

今度は自分(母親)が必要とされてないと危機感を感じて

私が自分よりいい思いをしているのが許せなくて

私のあら探しをして、私がダメな人間だと罵倒する。


私は、嫌な親でも、親に愛されたかった。

親が自分のことを嫌って、そんなことを思うはずがないと思いたい。

なにか私は誤解してるんじゃないかと思って、何度も話し合おうとした。


でも何度話し合っても、話し合おうと努力するたんびに私は

裏切られたような気持ちになっていた。


母親を拒絶した方がいいと思って、関わらなくなっても、今度は

自分は悪いことをしているんじゃないかという罪悪感がずっとある。


自分で罪悪感を感じないようにしようとしても、子供が生まれる前は

友達から、子供が生まれてからは、子育ての相談をする際に

親と同世代の相談員のおばさんから、お母さんも大変だったんだ。

許してあげな、我慢して付き合ってあげなと、私が悪いように言われる。


でもこの本で、母親とは関わるのも、罪悪感を感じることもないと

思えるようになったと思う。