シングルマザーが行く   ADHD、てんかん、不登校、仕事英会話保険子育て情報サイト-130302_2105~01.jpg


こちらの本から一部引用


Q 結婚して一〇年を過ぎたころから、妻の動作の異常に気づき、

診察を受けた結果、国の難病指定に該当する疾患であることが

わかり、入院して既に二年、現在に至っています。

指定病のため治療費は全額無料です。

中学生の子がいます。妻、母として日常生活の用が果たせず、

離婚したいと思いますが、妻は応じません。

治療の見通しもなく、国の社会保障によって療養してほしいのですが、

慰謝料・財産分与などはどう考えたらよいでしょうか。


A 質問のようなケースは不貞や悪意の遺棄と違って、発病は

夫婦いずれの責任でもないので、慰謝料の問題ではなく、

治療費負担、扶養的財産分与の方法が重要なポイントになります。


離婚を認めた判例も、相当の期間看病・介護にあたり、疲労困憊に

至った果ての請求であったり、妻が一〇年以上精神病で入退院を

くり返した期間医療費を負担してきた夫に、更に一〇〇〇万円の

扶養的要素の濃い財産分与の支払いを命じたりしています。

ただし慰謝料を支払う義務はないと判断します。


老人性のアルツハイマー病にかかった妻に対する離婚を認めた

平成二年の判決の事例も、一七歳年下の夫が一〇年間介護し、

民生委員の尽力で、全額公費負担の完全介護の公的老人ホーム

に入所できたという事情があるのです。

(ここまで)



考えさせられます。

私も実際こういうことを考えました。


結果、私は離婚して、本当によかったと思っています。


あの時、元ダンナが離婚を切り出してくれて、本当によかったと

思っています。


切り出してくれなかったら、私は、好きでもない、不信感のある

元ダンナと元ダンナの両親の下の世話を、その人たちが死ぬまでの

間、自分の生活や自分の大事な子供の生活を犠牲にして

やっていたでしょう。


考えただけでも、おそろしいです。


結婚とは、こういうことなのです。


私も含めて、みんなそうだと思いますが

相手が健康な時に、楽しい思いをしたから結婚しようと思いますが

それは間違いなのです。


健康じゃない時、介護が必要になった時に、その人やその人の

両親下の世話を、その人たちが死ぬまでの間、自分のやりたい

ことや自分の仕事や、これからやりたいことを犠牲にしてできる

のか?いうことが判断基準になるわけです。


結婚とは、そういうことなのです。


介護が必要になって、もう嫌だから離婚したいと思っても

相手が離婚に応じてくれなかったら、その配偶者やその配偶者の

両親の下の世話を、その人たちが死ぬまでの間しなければ

いけないのです。


もう嫌だからと言って、姥捨て山に捨てに行くわけにはいかないのです。


私は結婚した時から、元ダンナの両親から、もし介護が必要になったら

お願いねと、当たり前のように言われていました。

その時は私は、もちろん元ダンナのことが好きだったので

元ダンナの両親の面倒も見るつもりでいました。


でも結婚して、考え方とかが合わないし、会話も噛み合わない。

子供が生まれたら変わると思ったけど、子供が生まれたことで

ますます結婚生活をすることに違和感を感じました。


子供の面倒は私が1人で見ていて、それはいいと思いましたが

子供や私が具合が悪い時も、飯ないのか?と言っていたり

自分の面倒を見てないとか、親の面倒を見ないとか言っていたり

子供が動き回って危ないので付けた柵を、邪魔だ、ここは俺の家だと

文句を言っていたり、やっと子供が寝たと思っている時に

夜中に大音量で音楽をかけて、そのことを注意したら

ここは俺の家なのに好きなことしちゃいけないのかと怒っていたりして

そういうことが原因で、子供がケガをしたりする危険があったので

このまま、この人と一緒にいることは危険だと思っていました。


元ダンナの両親の面倒を見るということも嫌になっていました。

でも私は離婚するという考えには至らなかったので

話し合おうとしましたが、元ダンナは話し合うということができず

俺の親の面倒を見ないなら、別れようと言ってきました。


元ダンナの考えは、自分の両親の面倒を自分が見たくない。

嫁の私が見ないなら、再婚して、自分の両親の面倒を見てくれる人を

探すと言っていました。

元ダンナの両親も同じことを言っていると言っていました。


私は元ダンナの両親の下の世話をしてくれる人で

自分の面倒を見てくれる人だと思われていたみたいです。


そのことを聞いて、私も離婚した方がいいと思い

私の両親に言いましたが

私の両親は、まだ介護が必要じゃないのだから、必要になったら

考えればいいと、わけのわからないことを言っていました。


私の両親からすれば、自分の一人娘のことより、体裁の方が大事

なのでしょう。


本当に元ダンナから離婚を切り出してくれて、よかったと思っています。


もし離婚してなかったら、元ダンナの両親が介護が必要になって

私が嫌になったから、離婚したいと言っても、元ダンナは応じて

くれなかったと思います。


もう介護が必要になってるから、今から再婚相手を見つけることは

できない。

自分が親の面倒を見たくない。

だから離婚したくない。

お前が面倒を見ろと言っていたでしょう。


子供のことをちゃんと育てたいと言っても

子供のことなんて、保育園や学校に行かせればいい。

それで親の面倒をちゃんと見ろと言っていたでしょう。


それは元ダンナが介護が必要になった場合も同じでしょう。


元ダンナの両親から、自分は子供の面倒を見たくない。

嫁のアンタが見なさいと言われ、元ダンナも自分の両親に迷惑を

かけたくないから私が離婚したいと言っても応じてくれないでしょう。


元ダンナからすれば、私や子供よりも、自分や自分の両親の方が

大事なのです。


私は誰彼かわまず、離婚した方がいいとか、結婚しない方がいいと

言っているわけではありません。


ただ、結婚とは、さっきも書いたように

健康じゃない時に、その人やその人の両親の下の世話を

自分や自分の子供のことを犠牲にして、その人が死ぬまでの間

面倒を見るということなのです。


配偶者や配偶者の両親の介護が美談ばかり取り上げられている

ように思いますが

実際は、苦しくて、つらくて、ドロドロしたものだと私は思います。


配偶者の介護をして、本当に好きで、愛おしいと思うのは

その配偶者の人が健康だった時、自分がお世話になった。

自分のことを本当に思ってくれた。自分の話を親身に聞いてくれたとか

そういうことがあるから、介護した時も好きで愛おしいと思うのです。


そういうのがなければ、介護したいなんて思わないし

苦しくて、つらくて不幸なだけなんです。



私が言いたいのは

誰だって間違いはあります。


私も自分が離婚するなんて思ってもいませんでした。


元ダンナと別れることがショックじゃなくて、自分が離婚したというのが

ずっと付いて回ることがショックでした。

自分が離婚するとは思ってなかったので。


これは真面目な人ほど、そう思うと思います。

でも真面目な人でも間違えることはあるのです。


問題は、間違いに気づいてどうするかです。


間違いに気づいても、小さな体裁にとらわれて、我慢するかどうかが

分かれ道です。


我慢して維持していたら、そのまま不幸のゴールに少しずつ向かって

いるだけです。


考えてみてください。


配偶者が健康な時に、嫌だなとか、合わないなとか思うのに

健康じゃなくなって介護が必要になった時に、急に、好きに

なったり合うと思うと思いますか?


配偶者が健康な時が一番楽しいのです。


だから相手が、健康じゃないとか、悩んでいたり落ち込んでいたり

不幸だと思う時に一緒にいて、落ち着くと思う人が本当に合う人なの

です。


最悪だーと思う時に一緒にいて、落ち着くとか楽しいとか思う人

本当に一緒にいるべき人なのです。


それを健康で楽しい時に一緒にいて、楽しいから一緒にいようと

ほとんどの人が思ってしまうのです。



この判例を見て、さらに思いました。


私は離婚を勧めているわけでも、結婚をしない方がいいと言っている

わけではありません。


ただ、こういう現実を知らないで、不幸になってしまう人を少しでも

減らしたいだけです。