学校の勉強は
高校生の頃、なんでだか知らないが一時期、数学の授業をまるで聞いていなかったことがあった。
たぶん隣のクラスの友達に授業中に手紙を書くので忙しかったからかもしれない(^^;
とにかくそんなんで、定期テストの直前だというのに授業内容はさっぱり理解出来ていなかった。
さすがにこれでは0点確実でやばいなと思った私は、テスト1週間くらい前になって数学の教科書を読み始めた。
微分積分のところだったが、驚いたことに教科書を読んだだけで、微分と積分の理論が理解出来たのだ。
・・・今はすっかり忘れてます。すみません(^^;
「なんだ、教科書って、読んだだけでちゃんと理解出来るように書いてあるんだ~~。」と感動してしまった。
別に何故というわけでもないが、それまで、勉強というのは先生がいて教えてくれるもので、教科書というのは単なる教材くらいに思っていたのかもしれない。
しかし教科書は、先生なんかいなくてもちゃんと理解出来るように書かれていたのだ。
難しいことを理解出来るように説明するというのは、実はすごく大変なことだ。 しかも紙の上だけで。 数学が得意で、高度な応用問題も解けるという人が、何も知らない人に微分積分を分かるように説明出来るかというと、そうとは限らないと思う。
そんなことが出来るとは、私は数学の教科書を作った人を尊敬してしまった。
それから、高校の勉強は独学出来ると気付いた私は、授業は聞かずにテスト前だけ自分で勉強するという手をよく使うようになってしまった。 物理の独学はちょっと難しかった。 「テーブルの上に置いてあるボールに重力加速度がかかっている」というのを理解するのに2時間くらい費やしてしまい、一緒に試験勉強していた友達に、「そんなとこでひっかかってたら他のことが勉強出来ないじゃん。」と怒られてしまった。 適当に「そういうもんだ。」と思っとけというわけである。
その時はまだはっきり気付かなかったが、勉強というのはどんな分野であれ興味があれば独学出来るものなのだ。 というか先生に教わってるだけではダメなのだ、本当は。
本当の勉強というのは、「知りたい」という気持ちが一番最初にあって、自分からその知識を取りに行くこと。 先生はその補助でいいのだ。 しかし実際の学校は、興味のあることを自分でさらに追及するなどというヒマを与えてくれない。 この試験勉強の時のように、何かを追求しようとすると他の沢山のことを捨てないといけないからだ。
高校の時、中国に興味を持って中国語を勉強したことがあるのだが、その話を友達にすると、「自分は高校生の頃は受験のことで手いっぱいで、そんなことをしている余裕はなかった。さくらはすごいね。」などと言われてびっくりした。
そうか、高校生は受験をめざして勉強しないといけないのに、私は余裕をぶっこいていたので受験に失敗したんだなと思った(笑)
しかし本来の教育は、受験のためにあっちゃいけないだろう。
現在の高校の教育は大学受験のためにあるようなもので「中国語を勉強してます。」などと言ったら「遊びはいいから、勉強しなさい。」と言われてしまいそうである。
何も全員が全員、微分積分を理解してないと国が滅びるわけでもないのに、学校では好むと好まざるとにかかわらず、全員が、全て上から与えられたことだけを勉強させられる。
そして大学生になっても、自分が本当は何をしたかったのかすら分からない人間になるのだ。
知りたいことを自分で勉強して、レポートでも書いて出せば単位として認めてくれるような学校があればいいと思う。 独学して分からないことがあれば、先生が一緒になって考えてくれる。 そんなふうに全国の学校がなったら面白い。
そこまで自由ではないかもしれないが、イギリスの中学校ではクラスという単位がほぼ無いらしい。 クラスメートとは朝と夕に出席を取る時だけ一緒だが、あとは選択科目なのでみんなバラバラだというのだ。 柔軟な選択科目制度も、日本でももっと取り入れたらいいと思う。
もちろんそのためには、知識一辺倒の、高校や大学の受験制度が先に変わる必要があるだろうが。