「親の学校6分の1」
引き続き吉岡康雄さんの本です。
この人の子育て論をじっくり読んでみたいと思って読んだのですが、...
うーん、納得出来る部分もあり、納得出来ない部分もありでした。
この本に書かれている母親のあるべき姿というのは、簡単に言ってしまうと「子どものことに口を出さず、夫を大事にし、家事をきちんとし、いつもニコニコ」と、こういうことだと思います。 これは納得出来るのですよ。 女としては「バカにしてんの?」と言いたくなっちゃう気もしますが(^^;、要するに家事以外のことは何も分からないお母さんでいいのだってことですね。 知っていても知らないふり、助言したり指導したりといったことは一切しないで良いのだと。 子どもは親が教えなくとも、親の背中を見て学び、社会で学ぶのだから。
例えば夕べ、我が家ではまた娘と息子が二人してどっちが先にお風呂に入るかでケンカを始めました。 もう私はイライラしてしまってつい「一緒に入ればいいでしょう!」と言ってしまったんですが、これが言っちゃいけない典型例ですよ。 親が「こうしたら」と提案したり助言したり「~しなさい」と指導してはいけないのだそうです。 子ども自身に考えさせるクセを身に付けさせなくては。 そういった意味では私は言っちゃいけないシリーズをやっぱり日々言ってしまっていたんだなぁとつくづく思いました。 こういうのを過保護過干渉というのだそうです。
ただね、人生における重大な局面においてはやっぱり助言もしたいと思うのですよ。 自分がしたのと同じ失敗を繰り返さないように、私はこうだったけど、こうした方がいいと思うよって言いたいのですが、そういうのもダメなんでしょうかね...??
この本の最初の方で、なるほどなぁと思ったのは、母親は子供を誉めたり叱ったりせずに、その行動が「嬉しい」か「悲しい」かで判断し、正直な気持ちを伝えなさいというところです。 例えば、テレビばかり見ている子供を叱るのではなく「そんなにテレビばっかり見ていると勉強時間がなくなるのではないかとお母さん心配よ。」とか、テストでいい点数を取った子供に「よく出来たね」と誉めるのではなく、「あーら80点、お母さん嬉しいわ。」と言うのです。 叱られてばかりだと「また言ってる」になって効果が薄れるし、誉められるのも小さいうちは嬉しいけれど子供が大きくなってくると「べつに」となってしまいます。 しかし母親の嬉しい気持ちを伝えれば子供はもっと母親を喜ばせてやろうと思うし、悲しい気持ちを伝えれば、そういうことはしないようにしようと思うのだそうです。
そうかそうかと思って早速実行してみたのですが、実際にやってみると「嬉しい」「悲しい」という言葉がなかなか自然に出て来ないのですよ。 現実には普段私は「あーら80点、お母さん嬉しいわ。」なんていう言葉遣いはしないので、ちょっとアレンジしたいのですが、子供が持ち帰ったテストを見て「お母さん嬉しいよ!」というのはな~んか違う気がして、結局「すごいじゃない!」になっちゃうんですよね。 娘の場合誉めどころが漢字のテストくらいしかないので(^^; 漢字テスト90点は大げさに誉めてやりたかったんですが。 「嬉しい」以外に嬉しさを表す言葉ってないんでしょうか...
それから、私がちょっとそれはどうかと思ったのは「お手伝いはさせない」という項目です。 著者は「お手伝いより勉強をして欲しいと思っているのが母親の本音ではないでしょうか。」と書いていますが、私はそうかなぁ?と思います。 私自身は、勉強が出来ても自分の身の回りの世話が出来ない人を尊敬する気になれないので、子ども達には勉強よりも最低限の家事が出来るようになって欲しいです。 よく家に帰るとそのへんに靴下を脱ぎ散らかす男性がいるらしいですが、それって大人としてどうなの?と思います。 そのへんに脱ぎ散らかしていてもママが片付けてくれてたから、お嫁さんもそうしてくれるのが当たり前と思っているのかな? そういうのって子どもの頃からお手伝いをしたことが無い人ではないかと思うのですが、どうでしょう。 お手伝いをしたことがないので家事をする人の大変さを思いやることが出来ないのではないかなと思うのですが。
他にもいろいろなことが書かれていました。 とても納得出来るものもあれば、それは分かったけど、だからどうすればいいのか?と質問したくなるようなこともありました。 この手の本は、自分に合う部分だけをいただくことにしたいと思います。