服を着るのが苦手だ。


コーディネートが苦手というわけではない。
むしろ手持ちの服をあれこれ合わせて新しい着こなしを見付けるのは好きだ。
例え完成形がパリコレも吃驚の人類には早すぎるスタイルになっていたとしても私自身が苦手意識を持っていない以上、苦手ではないと言い張れるだろう。

文字通り服を着るのが苦手なのだ。
とは言っても私は最近服を着ることを学んだ未就学児でも服を着るという文化のない人類以外のフレンズでもない、パジャマでおじゃまは20年ほど前に履修済みだしそのへんは特に問題ないと思う。

繰り返し言うが服を着るのが苦手なのだ。
もう単刀直入に言ってしまおう。

私は裸族だ。

服を選ぶのは好きだし服を着るスキルも備えているが服を着ること自体が嫌いなのだ。
可能であれば全裸、それが叶わぬのであれば股間に葉っぱ、乳首に絆創膏くらいの軽装で出掛けたいと常日頃から割と本気で思っている。
その場合局部は隠してあるので猥褻物陳列罪は適用外でいて欲しい。
いくら『人生何事も経験』を座右の銘としている私でも、既に夫も子もいるので塀の向こうにしょっぴかれるのは御免である。

《理由を考える》
では何故服を着るのが嫌いなのか。
それは体格の問題だと考えている。
以前少し触れたが私は乳房がデカい、具体的な数値を記載したところで誰も得をしない上にぶっちゃけ私自身覚えていないので割愛させて頂くがカップで表現するとGだ。
Gensouの略ではない、むしろGenzitsuである。
ここまで読んでちょっとテンションが上がった男性、自慢かよ巨乳死ねと間髪入れずに呪詛を並べた貧乳女性も一旦落ち着いて聞いてほしい。
では言おう。

私はブスだ。

少しは落ち着いて頂けただろうか。
しかも私の場合「そんなことないよ~(><)」と否定して欲しいがためにブスを名乗るファッションブスではない。
平素風呂上がりに面倒だからという理由で化粧水を塗らず、お肌のシンデレラタイムにはネット三昧そのまま平気でオールしたりする、ダイエットは明日からと夕食後にアイス、と毎日の積み重ねで到達した自業自得の努力型ブスだ。
こちとら遊びでブスやってんじゃねぇ。
ブスは一日にして成らずとはよく言ったものだ。
常に本気でブスをやっている、気概のほどが違うのである。

《閑話休題》
さて、毎度の事ながら話が逸れたので戻そう。
何故服を着るのが嫌いなのかという話だ。
体格的にサイズの合う服がなかなか無いのが原因だと思っている。
乳に合わせれば腰周りがダボダボの寸胴鍋スタイルになるし、ウエストに合わせれば胸のボタンが弾けるならまだいい、そもそも右と左の布が届かないのである。
断っておくが私はもちろんボンキュッボンのナイスバディ、誰もが振り向く(※当然悪い意味で)ブス界の峰不二子、というわけではない。現実と向き合うのが怖いので婉曲的に表現すると『ぽっちゃり』だ、察してほしい。
それでも体格にあったトップスがなかなか見付からない。
悉く狂っているのだ、布面積の比率が。

《無いなら作ればいいという発想》
今でこそ裸族の私であるが、過去には体に合う服がないなら作ってしまおう、と既存の服のリメイクに手を出したことがある。
大きいサイズの服を購入し、腰周りを詰め、好きなボタンに付け替えたりレースやベルトをあしらってみたりと自分好みに作り替えた。
いわゆるDIY(どうしていかにもオタサーの姫みたいな様相になったんだよの略)である。
もともと手芸が好きで子供の頃からハンドメイドを齧っていたのでとても楽しかった。
自分でデザインを考えて1からではないにしろ作った物を着るというのはそれだけでかなりの充実感を得ることが出来た。

だがこの完璧ともいえるリメイク作戦にも問題があった。
それは私が常軌を逸した飽き性だという点だ。

昔からハンドメイドもデザインも好きだ。
だが作り始めた作品が完成したことは少ない。

つまりそういうことである。

リメイクに手を出したものの光の速さで飽きた私が導き出した結論は「服を着ない」というものだ。
裸、これはいい。
服を脱ぎ捨てることにより服に関する悩み(サイズ、センス、お手入れetc)の全てから開放される。
何より一糸まとわぬ開放感が素晴らしい。
身に付けたシャツ、スカート、ストッキング、下着(上下セット1000円)を脱ぎ捨ててしまえば私を束縛するものはもう何も無いのだ。
文明からの脱出、人間社会からの逃避。
服を脱ぐだけですべてのしがらみからから解き放たれる。

疲れたら服を脱げばいいのだ。

もっとも、TPOを弁えなければ檻の中に閉じ込められることになるという最大の欠点があるのだが。