今朝、著者、やましたひでこさんからのメルマガ第1号が届きました
抜粋で、一部掲載してみますね
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明け暮れモノを捨てまくることが、断捨離ではないからです。
確かに、あまり夥しいモノの滞積を前にして、捨てることしか解決策がないことに、最初に気づくのですけれど。
ダンシャリアンとは、あらてめてモノと向き合うことで、自分と向き合う人。
モノを通して、自身を探求しはじめた人。
モノの要・不要を自らに問いかけ、さらに、自分にとっての、適、快をも見極める。
今の自分に、何が必要で、何がふさわしくて、何が心地よいかを追求していく。
それは、モノにとどまらず、コト、ヒト、
さらに観念へ、とシフトしていく。
ダンシャリアンとは、断つ痛み、捨てる不安を、覚悟をして受け入れ、勇気をもって手放していく人。
そして、必要なモノは、必要な時に、必要なだけ、手にすることができる、と自分を信頼しようとする人。
さらに、必要なモノ、コト、ヒトは、必要な時に、必要なだけ、与えられる、と天を信頼できる人。
そう、ダンシャリアンとは、覚悟と勇気のある楽天家。
ただただ、モノを棄てているだけの人ではありません。
何が要るのか、何が要らないのかわからない
多くの人がかかえる、この質問以前の、質問にすらならない戸惑い。自分にとって、何が必要なのか、何が必要でないのか、それすら判断できない漠とした悩み。
こんな状態で、要らないモノは捨てましょうといっても、それは無理な話だと。
ましてや、こんな状態で、整理収納に取り組んだとしても、結果は、徒労感溢れるばかり。
溢れるモノを前にして、いつの間にか、自分で考え感じ、判断する回路を失って。
必要なのか、ふさわしいのか、心地よいのか、そんなことを考え感じることもなくなって。
与えられるモノ、提供されるコトを、漫然と受け入れる続ける日々の暮らし。
断捨離とは、考え、感じていく回路を回復させていくプロセス。
自分は自分に、何を与えていただろうか。
自分は、何を拒否し、何を受容し、何を許可しなかっただろうか。
そんなモノは嫌だと、拒否したモノから見える自分・・・
まあいいかこの程度のモノなら、と受容したモノから見える自分・・・
もったいないからと、自分に許可を出さなかったモノから見える自分・・・
断捨離とは、意図的に自分に許可を出していくプロセス。
選択決断という螺旋階段を一段一段、一歩一歩登りながら、自分を取り戻していく。
大切なのは、最初の第一歩。
螺旋階段を登るトレーニングの始まりの一段。
あなたが、最初に、要らないと考え感じ手放そうとするのは、いったいどんなモノなのでしょうね。
と、書いてありました

観念をも断捨離
ってキツ~
ってキツ~
《人》の断捨離までは、自分に向き合いながら、辛くなったり、泣けてきたりしながら何とか少し進んできたけど・・・
観念ねぇ~
物を捨てる段階で、一番、苦戦したのは、本でした
まぁ、辛い辛い
お金を沢山使うのも本ですから相当な量がありました
どれも自分に取ったら大切なものでしたから
でも、知識を得て実践したり体験したら、もう手離していいよね~なんて自分に言いながら、それでも苦痛が伴いました
食器やキッチン道具や洋服や仕事関係の書類は簡単なのにね
価値を感じてるものから、また自分が見えてくる・・・
覚悟が要るな
キツイプロセスを体験するな
と思ったから著者のセミナーに参加したわけですが、進める度に自分が見えてきます
キツイプロセスを体験するな
と思ったから著者のセミナーに参加したわけですが、進める度に自分が見えてきますゾッとするね
こんな私もいました~
なんてねっ
なんてねっ皆さん、やはり勇気と覚悟は必要ですよ~
挑むって感じ
ただ、そのプロセスは楽しんでいまーす