ナルトが終わっちゃうね!ケニーGにみるカブトとの共通点 | ジャズについて話そうか

ナルトが終わっちゃうね!ケニーGにみるカブトとの共通点

大好きなマンガ、「ナルト」が11月で終わっちゃうんですと。





「ナルト」70巻


そうかー、覚悟はしていたけど、
やっぱり寂しいね。


でも、なんとなくあれだけ好きだった「ナルト」の世界に
ついていけてない自分を感じていたのも事実。


理由は3つある。


1、最初の頃より展開のスピードが速すぎる


中忍試験の頃や、あかつきの頃は、
読んでるぼくらにも十分理解できる
スピード感で、わくわくしたものさ。
(むしろ丁寧すぎて、早く次、次って思ったほど)

でも、忍界大戦になってからは、
展開のスピードに、追いつけなくて
頭に残らないのさ。


2、敵の黒幕が多すぎて、またかって思う


憎むべき敵が、実は理由があって
そんなに悪いやつではなかった
というのは、結構あるパターンなんだけど
多すぎ!


悪いやつが弱ってくると、実は背後にもっとすごい悪が
って、何回やるの?
そろそろ、本当に悪いやつ出てこないかな。


3、禁断の大技、出しすぎ


これは、特に思うんだけど、
ジントンのおおぬきなんか、スーパーマンみたいに空飛んでるし
(デイダラくらいまでならOKだけど)


極めつけは、カブトのエドテンセイ!
何人生き返らせてんだよ!


特に、死者を使うってのは、
常套手段としても、
使いすぎだろ。
安易に使われた、火影にあやまれ。


まだ、サソリの時の3代目みたいに、
見せ場が多いならば、
リスペクトを感じるけど、
カブトのやつは、出しすぎだと思う。


そして、それまでは前へ前へとグイグイ引っ張ってくれたストーリーが
それによってなんとなく死者と同じく未来がないように止まっちゃった感じもする。


なーんて、思ってたら
カブトにそっくりなミュージシャンがいることに気が付いた。


その人の名は、「ケニーG」


言わずと知れた、ジャズ界(?)で一番CDを売ることが
できる男!


そして、その売れっ子ケニーGがナルトにおけるカブトだという根拠は、このCD。
「クラシックス・イン・ザ・キー・オブ・G」





ケニーG 「クラシックス・イン・ザ・キー・オブ・ケニーG」


このCDにおいて、このジャズ・フュージョン界で一番売れた男
ケニーGは、禁断の技に出るのよ。


3曲目「この素晴らしき世界」で、
なんとオリジナルのルイ・アームストロングの歌との
強制的な共演をはたしちゃったわけ。


これには、アメリカはもちろん世界中のミュージシャンが
驚き、あきれ、そして怒っちゃった。


「あのヤロー、ちょっと売れたからって調子に乗ってる」って。


ぼくは、冷静な耳で、聴いてみた。


こうした例は、そんなに多くはないけれど
全然ないわけじゃない。


例えば、ナット・キング・コールと娘のナタリー・コールのCD上の共演、
19991年にグラミー賞を取った「アンフォゲッタブル」とか、
憧れのチェット・ベイカーと同じくCD上で共演したティル・ブレナーとか…


でも、こういった例は、相手がお亡くなりになっているだけに
やっぱり特殊だし、
よっぽどのリスペクトを持って、
しかも大事なのは、そのリスペクトが
リスナーに伝わるように録音しなければいけない
ってことだよね。


このケニーGによる、サッチモの扱いは、
ナルトにおける卑怯な忍者カブトの禁断の秘術、「エドテンセイ」
(死者を自分の思うままによみがえらせ、思うままに扱うこと)みたいだよ。


あの枯れていながらも艶やかでリアリティのあるサッチモの声が
小さくて聞こえてこない。
大事なサビがカットされて、サックスがこれみよがしにテーマ吹いてる。
大好きな曲だけに、なんか、むなしいし、悲しいよ!


ケニーGが、本当はサッチモのことどう思ってたかはわからないけど、
せめてもうちょっと、ヴォーカルを大きくして、
自分のサックスの音量は控えめにしたらどうなのさ!


てか、そもそもサッチモの歌にかぶせるのは、おそれおおいだろ。
そう思わなかったの?


ぼくは、25年くらい前のバンド時代にケニーGの日本公演を観ている。
ぼくのバンドを見に来てくれていたお客さんから
勉強のためにってチケットをもらったんだけど、


同じサックスをやっているものとして、
その時の公演で覚えているのが、
ステージで吹いていたケニーが
いつの間にかいなくなり、
そして後ろの客席から現れるという
イリュージョンっぽい演出だけなのは、
やっぱりちょっと悲しい。


ケニー独自の、演歌風もしくはムード歌謡コーラス風
節回しサックスはそんなに嫌いじゃないんだけどな。


もう少し頑張って!ケニーG