まずは長男の説教から始まってしまった…



ふと最近よく思う。

少し前に比べて妙にオレは説教染みてきた気がする。

裏を返せば子供たちのためなのだけれども、何となーくイヤな親父になりつつあるんではなかろうか?


自分の中学時代なんかをまともに思い返せば、何かしらのことに対して子供たちに説教する資格なんかないような気にもなるもんなんだけど…


けど、そこで放任主義的な見解に陥ってはいけないんだろうなぁ…



以前から色々と説教染みたことは長男に限らず子供たちに向けてつついてきた。


つい先日は長男にスポットを当ててしっかりと2時間近く説教した。

いや、ホントに基本的なことだとは思うんだけれども。


要点をまとめるならば、

まずは

『自分のするべきことは自分の惰性に負けずに自分の意思で確実に慣行する』

まぁ、これは単純に言えば課題とか宿題とか提出物があるならば、まずはそれをやっつけた上で娯楽に興じろと、そういうこと。

いやね、テストの点が芳しくないとかそういうのはまぁやるやらないで何とかなるとは思うんですよ。経験上。

けど、今の学業って、課題とか提出物で定期テストの出来の良し悪しを補うわけじゃないですか。

それ如何によっていわゆる内申ってものの基準が決まるわけで。


いや、何かもうこんなことを書いてる時点で自分自身イヤになってきちゃうなぁ…

だって、オレの頃なんてのは中間・期末の結果云々よりも模試とか偏差値で判断されてたわけだし…

因みに自慢じゃないけどオレは中間・期末の成績は学年10位前後だったけど、模試なんかの結果だと学年5位前後で、偏差値をアベレージで表すなら70弱だったわけで…(自慢だなこりゃ)

ってまぁ、高校入試までって期間限定ですが。

高校で目一杯道を踏み外したんで、今の歳で中学生の子持ちバツイチなんですけどね(苦笑)


さて、勉強に関してはもう息子たちのモチベーション一つ。

やるやらないは彼ら自身ですからね。ただ放置はせずに少しでもサポートしてやろうとは思ってはいるところ。


次に

『親に対して、隠しごとをせずに嘘をつかない』

何かね、もう人間としてとても基本的なことなんですけどね。

別に親に対して秘密を持つのは仕方ないとは思うんですよね。10代半ばの中学生なんだし。

何でもかんでも分け隔てなく話せとは言ってないんだけどねぇ…

けどやっぱ、何かしら心にやましいことがあると子供ってのは嘘をついてそのことを隠そうとするもんなんですねぇ。

良い悪いに限らず、やってしまったことは仕方ない。ただ、それを隠そうとはするんじゃない。と。

それを隠すためには隠すための嘘が必要になる。その嘘を通そうとするならばそのためにまた別の嘘が必要になる。…と、誰しも経験していることだとは思うけれど、やはり子供はそれが判らない。

稀ではあるけれど、親は子供が遊びに行くと出て行って、意外と何処で何をしていたかを知っているもの。

当然、子供たちが遊びから帰宅すれば「何処行って、何してたの?」と飄々と訊く。子供たちは「何処そこで誰彼と某をして遊んでた」と、これまた飄々と答える。

がしかし、実際の子供の行動はその口から出てきたものとはまるっきり違ったりする。


例えば、オレの頃なんかだと、友達と公園で遊んでたと言いながら駄菓子屋にたむろってたりしたわけで。

今の子供たちは公園で遊んでたと言いながらゲーセンに居たりする。

今のゲームセンターなんかは、オレの子供の頃なんかに比べるとアミューズメント施設として一般に定着しているわけで、確かに昔みたいな不良のたまり場的な感じは無い。

息子たちが小学生の頃にはよく「変な中高生に絡まれたりしたら困るから子供だけでゲーセンに行っちゃいけないんだよ」と言ってきかせた。

息子たちが中学生になった時分には「ゲーセンなんてのは金を使って遊ぶところなんだから、自分で金を稼ぐスキルも持ってないくせにゲーセンに行って遊ぶくせなんか作るな」というもの。


高校生にでもなればバイトでも何でもして自分で遊ぶ金を作ればよいと思う。

それまでは我慢しろよと。

実際オレはそうしてきたわけで。

どーしても与えられた小遣いだけで遊ぶ金を捻出できないときは、家の手伝いみたいなものをバイトに置き換えて小銭稼ぎしてたんだし。


で、

何だかんだと色々と示唆してから長男を床につかせたあとで一冊の本を開いてショックを受けたオレ。

以下引用なのだが、こんな状態にならないためにはどうすれば良いのは模索中。


所々抜粋

>脳内の一次方程式

>では、五感から入力して運動系から出力する間、脳は何をしているか。入力された情報を脳の中で回して動かしているわけです。

>この入力をx、出力をyとします。すると、y=axという一次方程式のモデルが考えられます。何らかの入力情報xに、脳の中でaという係数をかけて出てきた結果、反応がyというモデルです。

>中略

>他にも身近なa=ゼロのケースとしては、おやじの説教を聞かない子供、なんて場合があります。「部屋を片付けなさい」だの「宿題をちゃんとやりなさい」だの何だのとさんざん言うと、その時だけは子供もウンウンなんて相槌を打っているけれど、実は全然聞いていない。だから次の日、同じように悪いことをしている。

>彼に対する説教の中身は、a=ゼロになっているから、いくら入力しても行動に影響がない。おやじが怒っていたっていうのだけが入力になっていて、怒ったおやじの顔を見ると逃げたりしている。そちらの方だけは、きちんと「出力」が出来ているわけです。子供にとっての現実は「おやじの怒った顔」だけで、「おやじの説教」は現実ではない。



もうこれは子供たちの意識を信じるしかないですね。

身近な人間が色々なこと教えてやるのは良いことであるのは確かだけれども

親兄弟など、身近過ぎると逆に聞く耳を持たない。


酸いも甘いも家族なんだから、ある程度は分け隔てなく打ち明けて欲しいものですなぁ。


オレは意外とオープンなんだけどなぁ…




「働くのは何故?」


次男が持ち帰ってきた社会だったか総合だったかの宿題のプリントの一番下の段。

そのプリントには起床時間から就寝時間までが表になっていて、各時間の息子の生活と、それに繋がる働き手のことが書いてあった。

たとえば

朝ご飯パンを作る人

授業中教科書を作る人、ノートを作る人

部活ボールを作る人、靴を作る人

夜ご飯野菜を作る人

などなど…


とりあえず突っ込んだ。

「売る人とか運ぶ人も居るでしょ?」


まぁ、いいや。

大人の見解で考え始めたらそーとー深いところまで掘り下げるようなことになりそうだし。


で、おそらくは

自分の日々の生活がそれほどの不自由がなく成り立っているのは、色々な人々が様々な仕事を着実にこなしているからなんだよ。ということを教えようとしていると思われる。

その上で、「では何故、人は働くのか?」という問い。



そんなもん一概に答えられるわけねーじゃん!



なーんて言うわけにも書かせるわけにもいかないから、少しまともに考えてみた。



で、オレが出した答えは

『自分のプライベートな時間を如何に充実したものに出来るか』

『お父さんの持っている技術を必要とする人がいるから』

の2点。


プライベートな時間云々というやつは、何年か前から持ち得ている自論。

別に仕事が嫌いなわけではない。むしろ好きだ。

ただ、仕事を人生にしてはいけないと、ある教訓を経てから考え方が変わった。

そりゃあやるときはやるよ?

専門技術職だけあって、誇りを持って仕事してるし。

まぁ、同じ技術職の人間なんて世の中にゴマンと居るんだけど…



上の二つの答えとは別に、ありきたりではあっても『家族のため』とも言っておくべきだったかな?と、翌日の仕事中にふと思い返した。



そう。

もしかしたらコレがきっかけ。

オレって今、何となく自分本位じゃね?って…

長引く不況の最中、何とか少しでも…って意識で仕事に取り組んでる。言わずもがな家族のため。


ただ、空いた時間を子供の為に費やすことが少なくなってきた。

というよりも、今までは子供たちが小さかったからこそ自分の時間なんてものは取るに取れなかった。

上の二人が中学生になり、一番下も小学校高学年。

面倒を見るという点では手が離れたと言っても良いかと思っていた。


実際はどうやらそんなことはない。


よく方々から言われる。

『これから一番手がかかる時期だね』


いやいや、今までに比べたら、自分のことは自分で出来るようになったし、逆に楽になったよ。


なーんてタカを括っていたんだけど甘かった(汗)


いやホント次々色々と問題を起こしてくれる。



子育ての仕切りなおし。

そう。

子供の面倒を見るではなく、子供を育てるのだ


自分の若かりし頃を思い返してみるに、子供たちの『今』はとても大事なのかもしれない。


よく耳にする言葉。

『親は子供と一緒に成長する』という。


子供たちの『過去』『現在』『未来』を

あいつらの父親として綴っていってみようと思う。

遠くない将来には、臆することなく自信を持って子供たちに見せられるような日記にしたい。


その上で、自分もしっかり育てていこうと思う。