もうずいぶん前に書いたブログです。ちょっと重いテーマですが読んでもらえたら嬉しいです。

 

目黒で起きた結愛ちゃん虐待死の事件。想像するのも恐ろしい、辛い事件でした。

 

虐待死させた父親には、懲役13年の判決が出ました。

 

虐待の事件にしては異例の厳しい判決とのことですが、結愛ちゃんのことを思えば、それでも物足りない位の気持ちで、ニュースを見ていました。

 

フジテレビのノンフィクション番組で、「なぜ、彼がそこまでひどい虐待を繰り返したのか」、、、そこに興味を持った私は、画面に見入ったのです。

 

彼の生い立ち、その経緯、高校や大学の同級生、就職先の上司、兄と慕っていた人からのコメント、、、それらを通して見えて来たのは、彼がごく普通の人間であること、そして彼の複雑な心理でした。

 

彼をよく知る人の、共通する人物像は、

「人の面倒見が良く、人のために何かしてあげたい人」というもの。

 

これは意外でした。自分のことしか考えていない、自己中心の人に違いないと思い込んでいたのです。

 

バスケットをやっていた学生時代の友人も、人の嫌がることも進んでやるような人だったと言います。

 

人のためにという気持ちが根底にあったから、結愛ちゃんの母親との結婚に至ったのだというのです。結愛ちゃんのために父親が必要だろうと。

その時の気持ちは、純粋なものだったと思います。

 

では、なぜあんなひどいことが出来たのでしょう。

 

そこで浮かんでくる、もうひとつの彼の人物像は、「人にどう思われるか、人目をとても気にする人」と言うことでした。

 

そうか、これなのか!

これが結愛ちゃんを死に追いやり、彼の人生を狂わせたのか

 

父親になった最初の頃は「ちゃんと歯磨きしなさい」とか、普通の注意だったようです。父親としてきちんと教えてやろうという気持ちだったのでしょう。

 

ところが、子供はそんなに簡単に思うようにはならない。

 

人目を気にするあまり、「良い父親だと思われたい」「いい子に育てないと、血が繋がっていないからと思われるのではないか」、、、、

と、過度のしつけから虐待へとエスカレートしていった。

 

自分の就職先がうまく見つからないこともあって、うまく行かない父親業に、ますます焦りや苛立ちを感じ始めたと彼自身が言っています。

 

飲みに行く先などでは、明るく振る舞い、良き父親であり、頼りになる人間であることをアピールしていたようです。

フリをしていたのですね。それではますます自分が苦しくなる。

「誰から見てもいい家族になりたかった」

その思いとのギャップでどんとん増してくる苛立ちが、抵抗出来ない、弱い存在へと向けられたのです。

ちょっとしたボタンのかけ違いから、鬼のような虐待へと、その行動が止められなくなる、、、

事件当日、結愛ちゃんの異変に気づいて警察を呼んだのは、その父親本人だったと言います。

人間って本当に悲しい〜

以下は、裁判を傍聴した同級生のコメントです。

「もっと気楽に子育てしろよ、そんなに頑張らなくていいよ、と誰かが言ってあげられたら。幸福になるタイミングはいくつもあったのではないかと思うと、本当に切ないです。」

 

そして最後に、裁判で「結愛ちゃんに何か言いたいことは?」と聞かれて彼が言ったこと、、、

「私が親になろうとしてごめんなさい」

結愛ちゃんは二度と返って来ない。この結果は悲し過ぎます。

でも、彼のような心理になり、同じような行動に出てしまう可能性が、100%無いと言い切れるでしょうか?

 

人間の弱さ、危うさを突きつけられた気がしています。