自主的にゴミ拾いをしている。
特に煙草の吸殻を撲滅しようと頑張っている。

ゴミ拾いを始めたきっかけは推しチームのクリーン活動だった。

そのうち、オフの時に公式からの推しの供給が断たれたことによる禁断症状が出始めた私は、さながら推し活ゾンビのように推しの幻覚を求めて早朝の街へ繰り出した。

無心で手を動かしていると、推し達も近くにいてくれるような気持ちになった。


それ以来、思い付いた時に目の前のゴミを拾うようにしている。

誰かの落とし物を間違えて捨ててしまわないように、明らかにゴミと分かるものだけ拾うよう気をつけている。

幸いな事に、というのはちょっと違うが、煙草の吸殻はそこら中に落ちている。


昔から煙草という存在が苦手だった。

あれは小学生の頃、近所の友達の家で遊んでいた時、テーブル上の灰皿に吸殻が数本入れっぱなしになっていた。

友達が「コッソリ吸ってみようよ」と言うので、興味津々とすっかりチビたそれを口に咥えた途端、強烈な臭いにえずいた。

『何だこれは、人間の体内に取り込んで良い物質ではない!』

そう思ったのは私だけのようで、友達は慣れた手つきでライターで火を付けていた。しかもわざわざ長めの吸殻を選んで。

さてはこいつ、初めてじゃないな?


以来、彼女とは何となくぎくしゃくしてしまった。

自分が生理的に受け付けないものを嗜好品として嗜むのが、理解できなかった。


時は流れ、私は地元の付属高校からエスカレーター式に短大に進んだ。

部活は合唱部だったから、喉を労るため喫煙はご法度だった。

交流のある他校の学生が飲み会で煙草を吸うことはあっても、「煙がこちらに来ないようにしてほしい」と言えば席を離したり店外で吸ってきたりと配慮があった。

そうして、甘やかされて嫌煙家は育っていった。


就職氷河期、部活で合唱と漫画と文筆に明け暮れていた私は全く就職できる気配が無かった為、美大受験を許可された。

美大は諦めたもののデザインを学びに他県で一人暮らしをさせてもらった私はまた好き放題やっていた。

部活は吹奏楽に漫画にPC(主にデジタル絵を描くサークルだった)、同じ埼玉出身の彼氏が出来るまで就活も身が入らなかった。

そう、私が実家から通える会社に就職を決めたのは、Aさんの側に居たかったからだ。


Aさんは憧れの人だった。

高校生の時、当時の彼氏の先輩として紹介された、素敵なお兄さんだった。

私は彼を「兄上様」と呼んだ。

文才があって、話が上手くて、電話をしていると時間を忘れた。

彼が人妻との爛れた関係に疲れたという話を聞いて、私はそこにつけ込んだ。

「初めて貴方を見た時から、ずっと素敵な人だと思ってました。私は多分、脚フェチな貴方の趣味に合うと思います。今の彼氏とは別れるから、一度でいいから抱いてくれませんか」

(もう少しオブラートに包んだ言い方ではあった)


彼との初めてのキスは、煙草の臭いがした。

少々の不快感を覚えながらも、長年想い続けた人を手に入れたという達成感が上回った。

それでも、駄目もとで頼んでみた。

「私と付き合うつもりがあるなら、煙草をやめて下さい」

快諾した彼は、こうも言った。

「君が死にたくなったら、最後に僕に抱かれに来なさい。君が誰かを殺したくなったら、僕を殺しに来なさい」

愛情深い人だと思った。だが、地獄の始まりだった。


彼に喜んで欲しくてした努力は、結局のところ無駄になったことばかりだった。

服装も言動も同人活動(コミケにサークル参加してた)も、「貴方のためにやっている」という押し付けがましさは双方負担にしかならなかった。

毎日のように電話で長時間仕事の愚痴を聞かされて疲弊した彼は浮気をした。

それ以上にショックだったのは、彼がまた煙草を吸い始めたことだった。

そうか、この人はもう私とキスをするつもりがないのだ。そう思ったら、もう無理だった。

私はあの細い棒以下の人間だと言われた気がして、静かに憤怒を燃やした。


自分の命の責任を相手に委ねたばかりに、私は自分の生き方を見失った。

別れてもまだ彼に執着して、煙草と喫煙者を嫌悪した。


道に煙草の吸殻が落ちているのを見て、彼に恋していた自分まで汚れていくように感じた。


社会人としてしばらく時間をすごして、ようやくこの頃は喫煙者も色々だよね、と思えるようになってきた。


編み会で出会った綺麗なお姉さんが、「上(喫煙所)で煙草吸ってきます」と席を立っても、『一緒に過ごせる時間が減っちゃってちょっと寂しいな』と思うくらいには。


急に肌が荒れた知人が喫煙者だったのが発覚して、『生活の乱れが原因かと心配したけど、煙草の本数増えただけか』と安心するくらいには。


煙草が悪いわけじゃない。

周りに気づかいできない人間がいる、というだけで。

まっさらな綺麗な地面になら、ポイ捨てするのも躊躇するかな、そうだといいな…

そんな気持ちで、私は今日も吸殻を拾う。

一つ拾うたびに、あの日の悲しい気持ちが、ちょっとづつ薄れていくような気がする。

そして、ささやかな達成感と共に、初めて推しとゴミ拾いをした時のことを反芻しては胸に刻むのだ。


新しい思い出を作ろう。

その行為が、推しの帰る場所をより良い街に出来たなら、それはとても嬉しい。