微熱まで下がり、少し楽になったけ
夜回り先生の本を読んで思い出した
私の先生の記憶を書いてみようかな!
最初の記憶は小学校1年か、2年かな。
1+1は?
の答えをみんなが大きな声で
「にーーーーっ」と答える中
なぜか1人だけ
「違うよ!1だよ!」
と主張したバカな私 笑
先生に「なんで1なの?」と優しく聞かれても
「分からんけど…2やなくて1やもん…」
と、あとに引けず、最後まで言い張った私に
名前も覚えてないその女の先生は
授業のあと、しょんぼりしてる私の所まできて
「さっきはありがとね。さくらちゃんが1って言ってくれたから、みんなもう1度おさらいしてお勉強出来たよ」
「さくらちゃんのおかげだね!お利口さんだったね!ご褒美あげなきゃだね!」
と、頭を撫でながら精一杯励ましてくれた。
そこまでなら凄く素敵な話なのに
図々しいガキンチョの私は、それから毎日
「ねーねー、先生ー、ご褒美は?」
とおねだりしまくって
最初は笑ってた先生も最後は
( ;´Д`)←こんな顔になってた 笑
何日かして
「ご褒美くれんやん。なんなん」
と拗ねて、聞くのをやめた気がするけど…
答えも間違っとったくせに
どんだけ厚かましいんや私は!!!笑
今でも思い出すと恥ずかしい記憶です。
次は小学校4年かなー、5年かな。
グラウンドの砂を水で濡らしながら何度も何度も丸めて1週間程寝かし
カッチカチに固まった泥だんごにサラサラの砂、略してサラ砂をまぶした
それはそれは苦労して作った泥だんご。
それをバレンタインデーに、担任の先生にプレゼントした事がある 笑
先生は笑って受け取って、しばらく机の引き出しの中に入れて捨てずにいてくれた。
その引き出しを勝手に開けて、あっ、泥だんご取っとってくれとる!
って、めっちゃ嬉しかった記憶がある。
先生、あんなカッチカチの泥だんごをプレゼントして、本当すみませんでした 笑
中学にあがると、恵子と呼んでた女の先生にベッタリだった
見るからに弱そうなのに
男の子同士の喧嘩にも入っていく先生だったから
それを見てたうちらが
「恵子、危ないけん下がっとき!」
と、恵子を止めに行ってた気がする 笑
12点だった理科のテストが39点に上がって、結局赤点なのに一緒に喜んでくれたり
ほつれたスカートを縫ってくれたり
熱が出たら、お粥を持って家まで看病にきてくれたり
毎日、お母さんが仕事でいなくて心細い中
恵子が母親の様に接してくれた事で
ワガママ三昧の私も、少しは真面目にしようかなと思う事が出来た。
今でもたまに電話して、友達みたいに恵子、恵子って呼んじゃってるけど
きっと、あんなの甘やかしてるだけだとか
他の先生や周りから色んな意見があった中
それでもあんな風に、私と目線を合わせてくれた恵子に心から感謝してる。
その甲斐あってか、とりあえずギリギリ私立の高校に入学。
そこでは更に輪をかけて迷惑かけたけど
一緒に草むしりの罰を手伝ってくれた先生もいたし
それはそれは本気で怒ってくれた先生もいた
結局、色んな人に迷惑をかけながら卒業させて貰った。
卒業式で、髪を黒に染めてこなかったから、式の前に職員室に呼ばれて
無理やり黒のスプレーで染め直された。
それに逆ギレして、あんなに迷惑かけたのに
お世話になった先生達に何の挨拶もせずに帰った私。
卒業して3年経って、高校を卒業して本当に良かったなと思った出来事もあり
高校に電話して、当時の担任の先生に
「あの時、お礼も言わずに帰ってごめんなさい」
「いっぱい迷惑かけたのに、最後まで怒って、見捨てずにいてくれてありがとうございました」
「あの日自分勝手に拗ねて、何も言わずに帰った事を後悔してるから、電話しました」
と連絡したら、先生めっちゃ泣いてた。
高校時代が本当に1番ろくでもなかったけど
あの時に助けてくれた人達の事は
今でも忘れないし、心から感謝してる。
今思うと、何がそんなに気に食わんやったんやろってくらい
まじ尖りに尖ってたけど 笑
あれが思春期ってやつなのかね。
今の先生はどんな先生なんだろう。
あの頃の先生達は
叩かれたり、怒鳴られたり
怖くて、ムカついて、でも暖かくて
凄く距離が近い先生が多かった気がする。
みんな元気にされてるかなぁ。
もう少し有名にならんと、今母校に行ったところで嫌がられそうやけん 笑
有名なったらドヤ顔で、先生!私大人になったよー!って言いに行こうかな☆
他人の気持ちなんて、ちっとも分かろうとしなかった私が
誰かと心重ねたくて歌ってる。
んー、今も、分からないから知りたいのかな。
きっと昔に比べて今の先生達は更に大変なのかもしれないけど
あの頃と変わらず、大事な事を教えてくれる先生達でいて欲しいな。
さーて、こんな夜更かししとらんで
残った風邪を撃退するべく寝ます!笑
先生達に尊敬と、感謝を込めて。
きゃふんっ