今日明日と、キリスト教会の手伝いに行ってくる
最近時間がある時は教会で讃美歌を歌っている
それで、今は牧師になった同級生のメッセージでこんな話をしていた
裁くことは神にしかできないから
僕らは日々赦し続けて生きることが肝心
もし赦せないのならここ(教会で)話して、一緒に許せるように祈りましょう
とある、心理学の本にもこう書いてあった
赦すという事は
自分を傷つけた事に対して終止符を打つ事
ここで肝要なのは赦す対象は、相手ではなく自分である
何故自分を赦す必要があるのか
それは、赦す事で前に進む事ができるから
子供は、よくケンカをするが
彼らは結構 簡単に仲直りする
だから、子供って成長が早い
大人はどうだろう
何年も、何年も昔の事を許さない許せない
年取るごとに赦す事が難しくなっている
大人は成長が鈍ったり止まっている
だからいつまでも前に進まない
■素直である事が大事なのかもしれない
それでも、世の中は悲しい事件や事故があって
どうしても許せないような人物もいるだろう
で
僕が思うのは
個人的な赦しと社会的許しは異なるという事
何かの被害に遭った時
それは許せないのがあたりまえだけど
その怒りに囚われてしまっては
もっと自分を傷つけてしまう
だから、ここは難しいのだけど
個人では赦す事に努め
社会に委ねる
そんな簡単な事じゃない
自分や自分の大切な人を傷つけられたり奪われたら
許せるはずがないから
だから静かに怒り続ける
怒りを明け渡す事が
大人になってからは大切なのだと思う
キリスト教的には十字架とはその事だったりする
最後に
僕が何度もブログで貼って居る
ありがたいお言葉(^^♪
今日も素敵な日を