先日書いた記事の

不思議な幸せの感覚

 
について自分なりに考え直してみたんだけど
それは、ただ単に自分の生活の質が向上したからできた
余裕なのだろうと思う
 
去年のまま飲んだくれた生活を続けていたら
世の中は地獄にみえたし、他人の幸せなんて考えないし
きっと、世界をもっと憎んでいたと思う
 
だから、奇麗事と言われれば
そうなのかもしれない
 
父方の実家は寺なのでお盆には
地獄絵図が飾られるのだが
 
地獄では餓鬼が
共食いをしている場面が描かれているが
極楽ではお互いに箸で食べさせあう者が描かれてる
 
改めて今思うのは
食べ物が無ければ奪い合い
食べ物が余れば奪い合う事もなく譲り合える
 
 
結局、環境が良くなれば人は他人に優しくなれるという事
 
六道とは心の状態でもあるが
 
飲んでた頃は地獄道に居て
お酒を辞めて
餓鬼(飢え)
修羅(争い)
人間(苦しいが生きる)
天(穏やかになる)
とステップを踏んでいたようにも思えた
 
この一年
もしもずっと、下の方に居続けたのなら
どうなっていただろう
 
時折、流れる無差別犯罪とかのニュースを見て思う
ひょっとしたら僕もそうなったのかもしれない
 
なってもおかしくない状態にいた
たまたま、運が良かっただけなのかもしれない
 
 
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スリップした時に突然現れて助けてくれた人が居た
地獄に仏とはこの事なんだろうと思うほど
その人は、僕が回復すると同時に離れていった
 
世の中には不思議なことに
人の姿をした神様みたいな人が居る
一定の割合で
 
僕の心の状態が上がってきた今
ふと、考えるようになった
 
落とすのではなく引き上げる側になろうって
それが僕の過ちの償いでもある
 
あめの定義山
 
断酒仲間のはるかさんが
断酒3年を迎えました
おめでとうございます^^