金美齢女史の”日本ほど格差のない国はありません!”という本を読んだ、書下ろしではなく、焼き直しの本だったようだったが。

金美齢女史は、やっぱり、いいこと仰るね。
プロローグの部分から、少し、抜粋すると、
”頑張っている人が報われて、適当にやっている人が苦労するのは当然の事”
”それをいまさら、「格差ができたのが問題だ」というのは道理に合いません”
”弱いものをいかに助けるか、ということばかりを議論している。・・・助けられる側の話ばかりでは、一体誰が税金を払って助ける側になるというのでしょうか”
”・・・「もらえるものはもらわなければ損だ」とこぞって申請するのが人間の心理でしょう”
”弱者の正当化に反対”
等、素晴らしい論調が続く。

この本は、小学校高学年から高校生まで、社会科の必須読本として採用しなければいけないだろう。

どんな社会にも、国家が救いの手を差し延べなければ、生きていけない運命を背負っている人々もいる、そういう人たちには、ちゃんと国家の予算で手当すべきであるのは自明のこと。
ただし、なんとなく、”格差社会”の言葉の傘に守られて、しょうがないんだよ、僕ら/あたしたちは、格差社会の被害者なんだし、努力しても無駄だし、という人生を送っている連中だっているわけだろう。

それから、教育の貧富格差も言われるけど、本来、子供が勉強したいと言えば、親は、自分の娯楽・洋服はもちろん、食費も削って、子供の教育費を捻出するように努力すべきなんだが、それをしなくなった親が増えているだけの話。親が、はなから諦めていれば、子供が勉強を一生懸命するようになるわけがない。
世間で言われている教育の貧富格差は、本来は、親のやる気と覚悟格差であるにもかかわらず、金美齢女史がいみじくも指摘されているように”弱者の正当化”を言い訳にしているに過ぎない。

去年の国会では、規制緩和のしわ寄せの顕著な例として、タクシー運転手の生活が良く取り上げられていた。テレビの報道でも、何回か特集されていた。それを見ると、確かに、悲惨ではある。札幌、すすきのの客待ちタクシーは、冬の深夜でも、ドアを開けて客を待っている場面があった。ミクロの面から見ると、気の毒だなとは思うが、マクロで見れば、一般の利用者からすると、乗車拒否・神風運転・返事なし(有難うございました、すら言わない)等の、タクシーにまつわる、マイナスイメージがかなり減ってきたのは事実、これは、規制緩和によって、サービス競争をしなければならなくなった結果だろう。
そして、規制緩和に乗じて、しっかりとした経営戦略も持たずに、闇雲に参入してきた経営者もいるはずだし、規制緩和=諸悪の根源という、一部マスコミ(及び、所謂、知識人)の姿勢はいただけない。

ただし、医療格差だけは、100%行政の問題。あと、医者を志した人間の使命感の欠如の問題。日本の教育水準ならば、どこの市民病院レベルでも、均等に高い医療が受けられるようになるはずなので、これが出来ていないのは問題だ。