予想とおりの論調だったな。

朝日・東京には笑ってしまったよ。

まず天声人語
表彰台の日の丸を見て起こる感動は、今そこに上がりつつある旗そのものから来るのだろうか。選手の努力、支えた人々、そして力を尽くして競い合った世界の選手たちへの敬意などが重なり合って生まれてくるはずだ。感情が自然にわき起こるからこそ、日の丸も君が代も共鳴する。

東京社説
サッカーやオリンピックで日の丸の旗を振り、君が代を口ずさむのは、誰に強制されたわけでもない。国旗とか国歌とは、もっとおおらかに考えていいのではないか。

これ、巧妙な論理のすり替えじゃないの?
こっちの日の丸はOK、あっちはだめ。
あっちで唄う(聞く)君が代はOK,こっちはだめ。

うーん、理解しがたいね。

同じ人が、あっちの日の丸をみると、軍国主義を連想して嫌悪感が湧き、こっちの日の丸をみると、心地よい感動に涙する・・・こんなことが可能なのか。

で、何回も書くけど、処分された人って、教育”公”務員だよね、税金で給料もらっている。つまりは、ある場面では、公人と考えるべきだよね。そのある場面とは、学校じゃないの?
私人なら、100%内心の自由は保障されるけど、公人は、一定の思想に基づいた態度を公教育の現場で発露することを無条件に保障されるのだろうか。
しかも、考え方の定まらない子供達の前で。

東京地裁の裁判官は変。

ま、でも、靖国にしても、国旗・国歌にしても、こうやって議論が自由に出来るのだから、日本はいい国だよね。ま、後者に関して言えば、他の国からは、嘲笑されていると思うけどね。