今日の東京新聞の特報は、”『日の丸・君が代』被処分者のいま 私だけが座っていた”でした。しつこいねぇ、全く、この新聞は。
確かにね、記事自体を読むと、理屈(へ理屈かもしれん)は通っていて、これを論破するのは、結構、骨が折れると思うよ。
でも、学校、教員というのは、子供が大人になったときに、必要な判断が下すことが出来る下地となる知識を教えることが、仕事であって、それ以外のことは、極めて付属的なことだと思うんだよね。学校は知識を授ける場であり、教師は、その知識を授ける機関ということね。
思想・信教の自由は当然保障されるべきだけど、国歌・国旗に反対するというのは、ひとつの側のイデオロギーだろう?それを、これから成長していく子供達の前で、闇雲に表明することは、白地の子供達に、国歌・国旗反対のイデオロギーを刷り込むことになるんじゃないの?
国歌・国旗に反対なら、自分で本を出すとか、今は、ブログは無料で開設できるのだから、そこで意見を表明するとかできるじゃないの?
まあ、確かに、減給・降格の処分はどうかな、と思うけど、学校・教師は、あくまで知識を子供に授ける場という基本中の基本に立ち返れば、どっちが正しいかは別として、あるサイドの考え方を子供の前で、教師が表明するのは、反則だと思うね。
それなら、国歌・国旗OKも、ひとつのサイドの考えに過ぎないって反論もあるのかねぇ・・・まあ、あるんだろうな、東京新聞みたいにさ。
こんな国、地球上の独立国家で日本だけだよ。
それから、まぁ、新聞はどこもそうだけど、この件をしつこくフォローしている東京新聞は、自分達が正しいという視点に立っているから、始末に終えんな。
確かにね、記事自体を読むと、理屈(へ理屈かもしれん)は通っていて、これを論破するのは、結構、骨が折れると思うよ。
でも、学校、教員というのは、子供が大人になったときに、必要な判断が下すことが出来る下地となる知識を教えることが、仕事であって、それ以外のことは、極めて付属的なことだと思うんだよね。学校は知識を授ける場であり、教師は、その知識を授ける機関ということね。
思想・信教の自由は当然保障されるべきだけど、国歌・国旗に反対するというのは、ひとつの側のイデオロギーだろう?それを、これから成長していく子供達の前で、闇雲に表明することは、白地の子供達に、国歌・国旗反対のイデオロギーを刷り込むことになるんじゃないの?
国歌・国旗に反対なら、自分で本を出すとか、今は、ブログは無料で開設できるのだから、そこで意見を表明するとかできるじゃないの?
まあ、確かに、減給・降格の処分はどうかな、と思うけど、学校・教師は、あくまで知識を子供に授ける場という基本中の基本に立ち返れば、どっちが正しいかは別として、あるサイドの考え方を子供の前で、教師が表明するのは、反則だと思うね。
それなら、国歌・国旗OKも、ひとつのサイドの考えに過ぎないって反論もあるのかねぇ・・・まあ、あるんだろうな、東京新聞みたいにさ。
こんな国、地球上の独立国家で日本だけだよ。
それから、まぁ、新聞はどこもそうだけど、この件をしつこくフォローしている東京新聞は、自分達が正しいという視点に立っているから、始末に終えんな。