与党の得票率は、2001年の前回75.29%、2006年の今回は、8.7ポイント下がって66.59%。野党の2人はいずれも前回よりも得票率を伸ばした。人民行動党は1965年のシンガポール独立以来、単独政権を維持してきた。
4/26 11:27

2011年5月7日、総選挙が投開票された。野党は、立候補届け出が遅れて受理されなかったタンジョン・パガー選挙区(定数5)を除いて候補を擁立し、全87議席のうち82議席で選挙戦となった。インターネットでの選挙活動が解禁された。
4/26 11:28

その結果、与党・人民行動党(PAP)が全87議席のうち81議席を獲得したものの、野党・労働者党(WP)が1集団選挙区で勝利して過去最多となる6議席を獲得。同集団選挙区では外務大臣ジョージ・ヨーが人民行動党のグループを率いており、現役閣僚が落選するという与党には厳しい結果となった。
4/26 11:28

集団選挙区で人民行動党が敗北するのは史上初。野党・シンガポール人民党(SPP)は改選前の1議席を守れず議席を失った。
4/26 11:28

人民行動党の得票率は60.1%と、過去最低だった1991年総選挙時の60.9%を下回った。投票率は93.06%であった。
4/26 11:48

2012年5月27日、野党労働者党議員が不倫をして発覚後、国外逃亡して2月に自動失職したそホーガン選挙区(定数1)の補欠選挙が行われた。結果は与党人民行動党が圧倒的有利にも関わらず、野党労働者党の候補が6割以上の得票率で勝利した。
4/26 11:48



2006年5月6日、総選挙が投開票された。与党・人民行動党 (PAP) が全84議席のうち82議席を獲得した。得票率は2001年の総選挙より8.7ポイント低下し、66.59%であった。投票率は94%で、有権者数は122万人。37議席は人民行動党候補が無投票当選。
4/25 11:25

選挙が行われた47議席中人民行動党が45議席を獲得。野党は1988年以来過半数を上回る候補を立てられず政権を争うという意味では選挙前から不戦敗の状況が続いてきたが回避。労働者党が1議席(ラウ・アキアン書記長)、シンガポール民主連合が1議席(チャム・シートン新人民党書記長)を獲得。
4/25 11:46



2001年総選挙は9月28日には選挙人名簿の縦覧を開始。10月18日に議会の解散が行われ、10月25日総選挙が告示された。投票日は9日後の11月3日であった。日程は野党の選挙態勢を整わせないよう極めて慌ただしく進められた。
4/24 11:43

結果は、人民行動党82、労働者党1。野党議席が3に満たなかったため、非選挙区選出枠からシンガポール民主連合1人が選出された。人民行動党は得票率75.29%で98.80%の選挙区議席を獲得している。
4/24 12:03



1968年から1981年までの13年間は、国会の全議席を人民行動党が占めていた。その後の総選挙でも1984年定数79で人民行動党77・野党2、1988年定数81・人民行動党80・野党1、1991年定数81・人民行動党77・野党4であった。
4/23 11:13

1997年総選挙ではチェンサン選挙区(定数5)で野党が45.2%の得票を集めたが、政府はすかさずゲリマンダーを行い、選挙区割りを変更、野党の得票を分散させた。集団選挙区は野党が定数一杯の候補者を揃えられずに擁立を見送る選挙区が多い。
4/23 11:34

少数民族を候補に含めることは、表向きは少数民族の保護だが、少数民族の候補を確保しにくい、野党の擁立を妨害する作用もある。そのため、2001年総選挙では人民行動党が過半数の55議席で無投票当選を決めている。選挙のたびに小選挙区は削られ、集団選挙区の割合が増えている。
4/23 11:34



選挙区は当初は単純小選挙区制であったが、現在は小選挙区9、定数5-6の集団選挙区14(75議席)となっている。集団選挙区は中選挙区制の一種だが、各政党は定数一杯の候補を立てる必要があり、少数民族を候補者に含める必要がある。有権者は政党に投票するため、無所属での立候補はできない。
4/22 11:22



田中佑輝のシンガポール政治情報続き。人民行動党の事実上の一党独裁制(ヘゲモニー政党制)。このため、シンガポールはいわゆる「開発独裁」型国家であるといわれ、典型的な「国家資本主義」体制であるともいわれる。
4/17 11:01

労働者党などの野党の存在は認められているが、その言論は大きく制限され、投獄や国外追放などの厳しい弾圧に晒されている。21歳以上の全国民が選挙権・被選挙権を持つ普通選挙だが、野党候補を当選させた選挙区民は、徴税面、公団住宅の改装が後回しにされるなどの“懲罰”をうける。
4/17 11:22