こんにちは、MAYAです。

 

 

 

 

ここではないどこかへ。

 

 

 

 

私が一番はじめに

実家を出て一人暮らしがしたいとか

 

いや、もう日本を出て

海外に行ってしまいたいとか。

 

 

 

 

 

そう思った理由について

正直に言えば

 

 

 

家族のことが

コンプレックスだったから、です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

先月、ナノインフルエンサー部で

公開ブログコンサルをして

 

部員の池田まさえさん

「もっと家族とのことや

自分のことを書きましょう!」

 

と言った矢先に

 

私自身が思い出したのです。

 

 

 

 

 

ああ、私も実家や家族のこと、

コンプレックスだったよな〜って。

 

 

 

いまはもう、

深く考える時間もあまりなくて

自分の家庭で忙しくて。

 

 

 

だから、忘れかけていて

でも体のどこかに絶対残っている、

 

100%は捨てられない、

 

そんな実家の思い出。

 

 

 

それを今日は

書いてしまおうという試みです。

 

 

 

 

 

よろしければ

皆さんもご両親や兄弟・姉妹のことを

おもいだしながら

 

読んでくださればと思います。

 

 

 

ーーーー

 

 

 

 

 

わたし、まずは

親が自営業だったことが

すごく嫌で

 

コンプレックスでした。

 

 

 

 

 

子供の頃、

 

会社員のパパで

専業主婦のママ、

 

っていうのが

 

なんかかっこよく見えた。

 

 

 

 

 

「普通の家庭」であることが

私の憧れでした。

 

 

 

 

 

普通の家庭?

 

 

 

 

いま言わせれば

なにそれ、ですが。笑

 

 

 

 

 

両親がしていたことは

起業であり、会社経営です。

 

 

 

なぜか子供時代の私は

 

それをかっこ良いとは

思えませんでした。

 

 

なんか、よくわからないもの。

 

お友達にうまく説明できない仕事??

 

 

 

 

誰もが知っている会社に勤めてる

パパの方がかっこいい、

 

 

 

そして

綺麗でニコニコした

いつもお家にいるママが一番。

 

 

 

 

 

現に、お店をやっていた母は

いつも家にいなくて

 

小学生の私は

学校が終わると

母のお店に入り浸ってました。

 

 

父も忙しくて、仕事仕事。

 

自分の好きなことに熱中して

少年のように自由な人だった。

 

 

 

 

 

そして、

兄に「知的障がい」があったこと。

 

これもコンプレックスでした。ずっと。

 

 

 

 

正確にいうと

 

 

障がい者の兄がいるという

自分に対するコンプレックスです。

 

 

 

家族の障がいを受け入れたくない

自分に対して、恥じた。

 

 

 

 

それが「普通ではない」

家庭になることへの

恐れであり、

 

 

普通でありたいという

自分の希望が叶わないことへの

悲しみで、苦しみでした。

 

 

 

 

また「弟」だったらよかったのに。

 

そうなんども思った。

 

 

 

なぜ、「兄」なのか。

 

 

 

(ちなみにもう一人健常者の兄もいます)

 

 

 

 

兄というものは

自分より年上、つまり

自分を導いてくれる存在で

あってほしいのに。

 

 

 

この兄というのが

見た目はまあ普通です。

 

 

それなのに、

頭だけ悪いって

いったいどういうこと?と。

 

 

 

明らかに車椅子とか

からだの方が問題ある方が

よっぽどクリアじゃない?と。

 

 

 

 

いったいどんな

神様のいたずらですか?って。

 

 

 

 

 

だから

友達には家族のことを話すことは

ほとんどなくて

 

なんだか、

とっても恥ずかしいものだと

ずーっと思ってきた。

 

 

 

そう思っている自分のことも

大嫌いでした。

 

 

image

 

 

 

 

そして、

 

私は大人になった。

 

 

 

きっとこんな両親と家庭の生まれだから、

と家族のせいにして。

 

 

 

 

けれども

 

 

今では外資系の大手企業に勤め

20年以上が経っています。

 

 

 

両親とは違って

会社員を続けている。

 

 

恵まれた仕事を

海外でも続けることができている。

 

 

 

 

 

それだけでは飽き足らず

パラレルキャリアもやりたい、と。

 

 

 

 

 

 

そして、

兄のことは

いまでも状況が

変わったわけではないのですが

 

 

兄のことがあるからこそ

私は人並みに稼げない兄の分まで

働くこと、稼ぐことが

 

当たり前の人生を

送れているのだと思っています。

 

 

 

 

2人分、いやそれ以上、

稼ぐっていうこと。

 

 

 

 

それで、やっと当たり前。

 

 

 

だって

私たちは普通の家族じゃないんだから、と

 

 

 

そう、思ってきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さらに、

 

私は、タイ人と国際結婚をすることになった。

 

 

 

 

image

 

 

 

 

これも今思えば

普通になりたかった私なのに。

 

 

 

 

 

結局は、

あんまり普通じゃない人生しか用意されてないということ。

 

 

 

 

そういうことなんだよね。

 

 

 

 

 

そう開き直った日には

何もかもが必然に思えるし

 

 

でも、それでよかったんだよ、と。

 

 

今はそう思っています。

 

 

 

 

 

 

神様は私に

こういう人生を用意してくれていて

 

 

こういう人生だからこそ

私がどう生きるのかを見てくれている。

 

 

 

 

 

いま、神様に

 

どうですか?

 

いかがですか?

 

と聞きたい。

 

 

 

 

 

私なりに、前を向いて生きてます。

 

 

 

 

 

自分の人生、幸せですか?と聞かれたら

 

「はい」と即答できるし

 

 

自分以外の誰かになりたいとも思わない。

 

 

 

 

image

 

 

 

 

 

今日は私のコンプレックスである

実家の家族のことを書きました。

 

 

 

 

 

 

やっぱり、少ししんどいですが(笑)

書いてよかったです。

 

 

 

それでも、涙はやっぱり出てきますが、、、。

 

 

 

 

 

 

読んでくださり

ありがとうございます。

 

 

 

 

よかったら、皆さんのコンプレックス、

これを機に教えてくださいね。

 

 

 

 

 

それでは^^

 

 

 

 

 

 

フォローしてね

 

 

 

 
 
MAYA
 
 
 

 

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カメラMAYA(ブロガー)
ブロガー歴21年、旅とホテルとアジアとスタバのラテが大好きなブロガー。2000年、就活失敗と失恋の真っ只中に香港へ渡りブログ開始。現地ホテルで働くも、英語もできずに大挫折。書くことだけが生きる希望で乗り切った香港から帰国後、会社員の傍ら出版社の文学賞へ応募、優秀賞受賞。その後TV出演、旅サイトでコラム執筆などの依頼を受けるようになる。30代後半、人生を諦めきれずパラレルキャリアを志す。ブロガーとしての経験を活かし人気ブロガー育成講座MAYAブログ塾主宰するようになり、今では自分の才能を開花させたい世界中の女性たちをサポートしている。パラレルキャリア推進委員会にて海外支部長。ポジティブ心理学認定コンサルタントの顔も持つ。プライベートでは10歳差がある2人の娘のママ。さらに詳しく読む(続きはこちら)

 

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