この時代では否定的に捉えられる
「男たるもの」という考え。
でも、
幼少期にそうやって、ある意味洗脳されて来た身としては
理解は出来ても、実践は難しい。
教師の体罰は容認され、
基準は「ケガをさせるか、させないか」にあった時代。
「男の子なんだから我慢しろ」
「男のくせに」
「男が泣いていいのは、両親が亡くなった時だけ」
「男らしくない」
などなど、散々言われ、それを受け止め、
実現しようと努力さえしたのだ。
今更「そんな考えは間違っている」と、
そのように行動を変えなさいと言われても、
頭の中では分かってても、なかなか出来ない。
経済的に厳しくても「二人で頑張れば大丈夫」などと、
女性に言われたとしても「ああ、そうだね」とはならない。
自分でどうにか出来ないなら、
「二人で」というところを諦める。
そのうえ、
「どうして?」と理由を求められても
「男の子だから」とも言い難いから、
追及しないで欲しい。
「ばっかじゃないの!!」と
言われることも理解はしてるのだ。
高倉健は「不器用」と言った。
それは「ばっかじゃないの」とならず、
カッコいいらしい。
さて、
歩み寄る
1 歩いていって近寄る。また、互いに近く寄る。
「相手に二、三歩―・る」
2 意見や主張の違う双方が、条件などを譲り合う。
折れ合う。
「労使が―・ってストは回避された」
辞書では
どちらか片方だけが行動や意識を動かすことを「歩み寄る」とは言わないようです。
だから、
自分自身は動かず、「歩み寄る」というのは、そもそも間違った使い方なのかもしれません。
ですが、
自分が「寄った」ことは自分のことですから分かりますが、
相手が「寄った」ことは分からないことが多い。
相手の「元の主張」が明確であった場合や
お互いの間に、それなりの信頼関係が成り立っていないと、
「歩み寄る」ことが出来ているのか、どうかは
分からないね。
そして、取り巻く環境は
幾つもの事象が、幾重にもなってたり、絡み合ったり、
時間とともに変化してたりするから
何をもって「歩み寄る」のかが、
ますます複雑で、分かり難い。
普段、てけとーに生きていると
突然降って来た一言に
とまどったり、
とまどわなかったり。
なんのこっちゃ。
で、昨夜のモンハン。
やはり時間がなくて、
数クエだけ
独り者なのに
身よりも、地縁もなにもない場所に
戸建てを買って、
周囲から「バカじゃね?」と言われること多数。
直接言わないにしても
「へぇぇ~」
「そーなんだぁぁ~」
「すげぇなぁ~」
などと、
失礼ながら、ゲスい笑みを湛えて言われることは
もっと多数。
『いいんです!』(じえいふう)
賃貸の保証人になってくれる身内も限られてくるし、
迷惑かけたくないし、
歳喰ってくると、
ローン年数も限られてくるし、
病気なんか出てくると、
また面倒。
なので、
『今でしょ!?』(林せんせーふう)
ふつーに、ちゃんと生きているけど
独りだというだけで、
変な扱い。
それでも
男性で、そこそこ名前の通った会社にいる分
まだマイルドな扱いだと思う。
だから、
ちゃんと生きているのに
大変な方は
もっと、もっと居るはず。
更に女性だと大変だと思う。
ひねくれて、
自分の価値とは何か
とまで思う。
家族や
会社
そういう裏付けがないと
自分自身そのものには
価値が無いのかと。
自分もそうだから
偉そうには言えないけど、
こういうのって、
実際に自分がその立場になってみないと
なかなか解らないだろうな。
問題の本質を解かず、
対処だけを考えてる政治家のみなさんも・・・・。
なーんて、
たいそうなことを言ってても仕方ないので
僕は僕で生きていく。
キンキンに冷えきった家に着き
数少ない郵便物を確認しながら
そう思う。










