節目とは。 | ポンコツも愛せば『レトロ』と思うもの。

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ポンコツな自分自身でも、愛情を持てば『レトロ』と思えるモンです。

阪神・淡路地域が甚大な被害を受けた震災から

今日で21年になる。

思いのほかマスコミで取り上げる時間が少ないかなと感じたのは

自分だけだろうか。

一部の記事に目を通したところ、

『20年を節目に追悼イベントなどを終了している』

ということもあるらしく、

ある意味、目立たなくなってきたのだろう。



20年…。

震災とは全く関係ないことではあるが、

自分にも今年で20年経ったのかと想わせる出来事がある。

それもひとつの “節目” というものなのか。

そもそも “節目” って、どういうものなんだろうか。

例えば震災に関していえば、

20年であろうと、30年であろうと、

被災して失った様々な事柄への想いが消えることはないだろう。



ただ、あくまで個人的に、あえていうのならば、

どこかで “節目” というものを感じながら

消えることのない悲しみを

どうにかして残された者たちが前に進むための

何かに変えていけたらいいのかもしれないと思ったりする。

心に刻まれてしまった深い哀しみは

決して消えることはない、消せるものではない。

ならば、何とかして、それを受け止めて

自分の人生の力になるように…出来たなら何より。

そういう自分も、いまだにクリア出来ないモノがあるが…。

それでも、生きている以上は

後ろばかり向いていてもいけない気がするので

出来る限り前を向いて歩いていければと思う。



災害に遭われて亡くなった方々への想いを失うことなく、

それを抱えながら生きることは簡単なことではないが、

悲しんでばかりいては、何も報われない気がするので

ゆっくりでも前を向いて歩いていければ何よりと思う。

もちろん今日は、今日一日くらいは

悲しんでいいと思う。泣いてもいいと思う。

そして明日からまた頑張っていくんだと心に誓って生きる。

今日がそんな “節目” に出来たらいいのかもしれない。



自分が思う “節目” とは、

忘れるためや、止めるためのキッカケではなく、

思い、偲び、

そしてまた歩き始めるための 『ひと呼吸』 のような

そんなものではないかと…思ったりした。



長々と失礼。 <(_ _)>