私が幼稚園から帰って来ると

姉(小4)が額にガーゼをつけていた
姉は悲しそうな顔をして 母はピリピリしていた

母が姉に怒り顔めがけてコーヒーカップを投げたのだ

長女が生まれてから
なぜ姉の顔にコーヒーカップを投げつけたのか母にといた

母は怒りながら
「あの子は簡単な計算ができなかったのよ」
子供の顔めがけてコーヒーカップを投げつけたのは当然とした

「何言ってるの。なんで小4になるまで基礎計算ができないの放っておいたの?」

エホバ母は「完全」である。そのため子供に批判されると逆ギレする

「私は幼い時、母が死んだのよ。それでも勉強は学年18番だったのよ。私は親がいなくても勉強できたのよ」

彼女は批判されるとキレてヒステリックにわめきちらす。他人の話は一切聞かない

母はエホバの証人がエリートと信じた
自称「世界最高の教育をしている」

エホバの証人になれば
週3回の集会に子供を連れていけば、ただそれだけで子供がエリートになると信じた

この人 色々な点で頭の残念な人です

一つ目は 大人は感情的に怒ってはなりません。親かから怖い顔、顔を歪ませてヒステリックに怒鳴り散らすのは子供にとってストレスであり虐待です。このような扱いを受けた子供はそのような大人になります。実際に感情的に暴力を振るう人間になりました

二つ目は 子供は一人一人個性、発達の違いがあり子供の発達はそれぞれ違うという視点が欠けています

3つ目は 親と子では一世代時代が違います。敗戦後の日本社会と高度成長期では学校、教師、児童、家庭の状況は全く異なります
敗戦後の都心では、空襲、食料不足などで両親がいない。片親家庭、食べるのが精一杯の家庭は珍しくありません

母は「私は母親が死んだのに勉強ができる」が口癖ですが
高度成長期に両親健在の家庭がほとんどであり
高度成長期はほとんどの母が専業主婦で「教育ママブーム」で皆教育熱心でした

4つ目は、遺伝の問題です
父親が中卒で自分名前をローマ字ですら書けない遺伝的要素があります。知能は遺伝性もあります

感情的に暴力を振るった後「コイツはバカだ」と罵り、反省は全くなく、あとは放置。フォローは全くありません

小学校の基礎計算ができなければ、応用もできません
算数は逆ピラミッドであり、できなければ置いていかれます
知識が基礎計算ができないで終わってしまうのです

何よりも子供に勉強させていません
エホバの証人の週3回の集会に参加する内容と
学校の勉強は異なります
エホバの証人の集会では、計算問題はありません

私が本屋で問題集を探していた時、若い夫婦が
「できる子は親が勉強させているから、小学校入学時点でかなりの差があるんだって」と話していました
できる子は幼少期から母親が指導しています


私が小学校入学時点でクラスでできる子三人衆は学校で習う知識以上の知識を持っていました
長女の小学校の時の学年トップクラスの児童たちは3歳で足し算をしていたといいます

勉強ができる子は、両親が仕込んでいることです
戦後食うのが精一杯の時代とは違うわけです

姉は3月生まれだから、置いていかれやすい。早生まれの子は 小学校入学前についていけるようサポートが必要です

また4人の子供を東大医学部ストレートで合格した佐藤亮子ママは
「子供の学力は9割が親の責任」と述べています
学力は小学生までは親の責任なのです

そういう思考が母には及ばないのです
つまり 
この人あまり知性がありません

夫婦て知的に足りないのです
そんな夫婦の子供が勉強ができる子になるはずがありません

私は生まれてから子供たちには本の読み聞かせをしました
一日も早く文字を理解させて、2歳までには計算を勉強させていました

長男は知的障害で学習障害ですが 小1から足し算、引き算、学習障害ですから長男から腕を噛みつかれながら学習さました。長男は知的障害、学習障害でありながら小4の時には2桁の足し算引き算の暗算ができました

知的障害でもない、学習障害でもない子供が小4で基礎計算ができないのは親の怠慢です

母はエホバの活動が忙しく、子供が小4になるまで基礎計算かできないことすら気づかなかったのです

母のした事は虐待ですが姉は母を恨んでいません

幼少期からエホバの証人の集会に通っていた姉は

子供が叩かれるのをいつも見ていて

良い親は子供に体罰をする

愛しているからこそ叩くのだと刷り込まれています

母もまた体罰するのが愛情と洗脳されましたから、自分のした事が悪いとは考えません

感覚が違うのです

だからといっても母の態度は理不尽です

子供は自分にされた理不尽を昇華できない。
理不尽をした相手に抗議できなければ
より弱いものに 怒りは向かいます

姉はよく妹たちをいじめました

殴る
蹴る
つねる
髪を引っ張って引きずり回したりされたこともあります

エホバの証人たちの目の前で鼻血が出るまで殴られた時は2回ありました

姉はエホバの証人の母親たちをみて真似しただけです

そして彼女は母の真似をしてエホバの証人になったのです

彼女は今でも
良いお母さんは子供を叩くものと信じています
これがカルトの「洗脳」の恐ろしさです