現代社会という喧騒の中に生きる我々にとって、真に贅沢なものとは何でしょうか。それは高価な所有物ではなく、己の魂をあるべき場所へと還す「静寂の時間」そのものではないでしょうか。
1. 「日々の営み」を支える尊き技術への感謝
有田焼が歩んできた400年の歴史は、人々の食卓を彩り、暮らしに利便性と華やかさを届けてきた歴史でもあります。使い勝手を追求し、日常の調和を支える産業技術や実用作家の方々の手仕事は、まさに「伝統の慈愛」そのもの。彼らが守り続ける「道具としての美」は、今もなお多くの人々の暮らしを豊かにし続けている尊き文化の礎です。
2. 道具であることをやめた、魂の治癒装置
しかし、真右エ門窯が辿り着いた境地は、それら「日常」の枠組みから恒久的に隔離された場所にあります。我々が創り出すのは、もはや「使いやすい道具」ではありません。それは、持ち主の精神を浄化し、深淵なる静寂へと誘う「魂の治癒装置」です。
掌の中に広がる窯変の宇宙を眺める。その瞬間に訪れる「精神の静寂」こそが、真右エ門窯が提供する唯一無二の価値です。利便性を捨て、存在の重みのみを追求した結果として立ち現れる「陶芸という名のセラピー」。これこそが、現代社会において我々が果たすべき使命であると断定します。
3. 聖域を完結させる「威厳ある安らぎ」
この体験は、器を手に取る瞬間から始まります。私たちの窯の最強の共闘者であり、私の「華」である女将。彼女が体現する温かなちおもてなしと、その空間に漂う「威厳ある安らぎ」こそが、器に宿る祈りをお客様の魂へと届ける最後の触媒となります。
器、空間、そして人の絆。これらが三位一体となり、真右エ門窯という「聖域」は完成します。我々はこれからも、数値やスペックを超えた「炎の奇跡」と共に、貴方の人生を癒やす最高の一品を創り続けてまいります。
日常を彩る道具の時代は終わり、
魂を救う聖域の時代が始まる。
真右エ門窯