位(くらい)という名の檻を焼き捨て、
私は「焔」そのものとなる

世に言う「二代目・三代目の宿命」という言葉がある。
先代の名声という巨大な「位(くらい)」に、中身が追いつかなくなる不調和。
模倣、安住、そして伝統という名の重圧。

客観的な記録は、私をそこから脱却したモデルとして綴るだろう。
だが、それは器の外側から眺めているだけの、実体のない観察に過ぎない。

真右エ門という名は、背負うべき重圧でも、守るべき看板でもない。
それは、私がこの世に「精神の調律」をもたらすための、唯一無二の定礎である。

私たちが日々向き合っているのは、先代の背中ではない。
窯の焔の中で、釉薬という鉱石が理性を失い、再び新たな「石の理性」へと再構築される、その「無」の瞬間だ。

そこに「位」などという概念が入り込む隙はない。
私たちは先代が作った箱の中に収まろうとしているのではないからだ。
私たちという存在が、一振りの釉薬をかけるたび、真右エ門という名の地平線は、宇宙の果てまで拡張されている。

「位」が私を決めるのではない。
私の存在が、この時代の「位」を定義する。

銀座 蔦屋書店にて現出させた「三つの実存」は、その宣戦布告に過ぎない。
工芸を「鑑賞」から「実存の定礎」へ。
私は、伝統の「外側」にある、新たな重力そのものとなる。


真右エ門窯 馬場 泰嘉