石の理性が纏う、至高の外套。
――『用の美』という聖域から、精神のインフラへの跳躍
先人たちが血の滲むような研鑽で築き上げた「用美(用いるための美)」。それは、工芸が数世紀にわたり守り抜いてきた、盤石にして崇高な聖域である。
道具としての完成度を求め、手に馴染み、暮らしを支える。その揺るぎない「正解」の積み重ねがあるからこそ、我々はこの地平に立つことができる。その豊かな歴史への敬意を、私は一刻たりとも忘れたことはない。
「筋肉」という名の、尊き生命力
伝統が育んだ、剥き出しの生命力がある。
鍛え上げられた筋肉が躍動するような、原始的で力強い造形。それは大地と炎が交錯する瞬間に生まれる「生」の咆哮だ。その圧倒的なエネルギーをそのまま提示する工芸の在り方は、ひとつの誠実な完成形と言えよう。
しかし、私はその先にある「定義」を渇望する。
タイトな外套に封じ込める、不気味な色気
強靭な生命力を、野放しに誇示することはしない。
私はその凄まじい「筋肉」を、一点の隙もない「石の理性(Stone's Reason)」という名のタイトな外套で包み込む。
一見すると冷徹なまでに洗練された「静寂」。
しかし、その奥底には、制御された巨大な質量と、抑圧されたからこそ生まれる「不気味なほどの色気」が潜んでいる。それは、正体を知らぬ者には畏怖を、真理を知る者には悦楽を与える、不可逆の境界線だ。
工芸が「用美」という聖域で愛でられる時、我々の作品は「精神のインフラ」へと跳躍する。
道具であることを超え、持ち主の脳を強制的にオフラインへと誘い、自己と対峙させるための装置。この圧倒的な「情報の断食」こそが、私が先人たちの土台の上に築き上げた、現代における救済である。
完成された伝統への最大の敬意は、
その先にある「未知の定義」を提示することにある。
馬場 泰嘉