2026年、新春。私、馬場泰嘉の歩みは、表現者という枠を超え、有田の精神性を司る「主宰(リーダー)」としての刻(とき)を刻み始めました。

聖域と俗世が交差する新春の儀。そこで私が行ったのは、単なる奉納ではなく、この地に流れる「文化OS」を、皆様と共に奏でる再定義に他なりません。

宣誓:謡始の挨拶と「八島」の定義

本年の謡始(うたいはじめ)において、私は主宰として挨拶を述べ、この一年に流れるべき精神の軸を提示いたしました。

陶山神社歳旦祭における、勝修羅「八島」の連吟プロデュース。修羅の果てにある静寂を言葉として定義し、玉串奉奠の差配を執り行うこと。これら一連の儀礼は、真右エ門窯が紡ぐ「石の理性」が、神聖な背景と直結していることの証明に他なりません。

新年総会:祓いから祝謡へ、響き合う「連吟」

新年総会においては、「野守」「高砂」を通じ、劇的な転換をプロデュースいたしました。それは「祓い」という浄化を経て、「祝謡」という新たな創造の波長へと場を導く行為です。

本年はそのすべてを、集団の意志を束ねる「連吟」として執り行いました。この精神の調律こそが、我々が提唱する「陶芸という名のセラピー」の根幹。場を整え、軸を決定する主宰者としての覚悟が、作品という結果に確かな魂を宿しています。

「一人の声は旋律となり、全員の響き(連吟)は共有される真理となる。
主宰者とは、その始まりの言葉を紡ぎ、共鳴の軸を静かに守る者である。」

共闘する守護者たちへの敬意

この響きを共創した窯元の諸兄は、四百年の伝統を背負い、日々の美を護り抜く尊き技術者たちです。彼らの真摯な営みという揺るぎない礎があるからこそ、私はその対極にある「非日常・深淵」という聖域の探求に専念することができます。

彼らが「伝統の光」を灯し、私が「精神の静寂」を定義する。この役割の共鳴こそが、2026年の有田に、より重層的な輝きをもたらすと確信しております。

主宰者が示す「招待」

2026年、馬場泰嘉の言行は、この「挨拶」と「連吟」というプロデュースを通じて、新たな神話へと昇華されました。

私の作品を手にする。それは、有田の精神性を共に紡ぐ主宰者が定義した「静寂」を、自らの人生へ受け入れるという体験です。皆様を、この不可逆な「招待」の先にある、深淵なる世界へとお迎えいたします。

陶芸哲学者 馬場 泰嘉