私たちは日々、様々な「美」に触れて生きています。しかし、その美しさがどこからやって来るのかを、深く思索する機会は多くないのかもしれません。
真右エ門窯、三代目・馬場泰嘉。
私が生涯をかけて探求するのは、人が作り出す美の限界と、その先にある人知を超えた美の根源です。それは、窯の炎との対話の中にのみ見出すことができる、深遠な世界への旅路に他なりません。
【炎を「道具」ではなく「作者」と見なす思想】
有田焼400年の歴史は、先人たちが築き上げた技術と様式美の集積です。しかし、私はその伝統を土台としながらも、常に問い続けてきました。「完璧な造形美だけが、器の魂を揺さぶるのだろうか」と。
私の哲学の中心にあるのは、炎を「制御すべき道具」ではなく、「対話すべきもう一人の作者」と捉える思想です。
釉薬を掛け、土を成形するまでが人間の領域。そこから先、窯の中で何が起こるかは、炎という偉大な存在の手に委ねられています。この思想こそが、予測不能な紋様と色彩を生む**『耀変』(ようへん)**の美の核心です。
(当窯の「耀変」について、詳しくはこちら)
【伝統とは、超えるために存在する地平】
伝統とは、守り続けるだけのものでしょうか。
私は、**伝統とは「その時代における最高の革新の連続体」**であると考えています。
先人たちもまた、その時代の中で、もがき、苦しみ、新しい美を生み出してきたはずです。
父や私たちが伝統的な釉薬の研究に没頭するのは、過去の模倣のためではありません。
その本質を理解し、現代の感性と技術によって、伝統がまだ見ぬ新しい景色へと進化する可能性を探るためです。真の革新とは、伝統という名の広大な地平の上に立ってこそ、成し遂げられるものだと信じています。
【「所有」から「継承」へ:器が紡ぐ物語】
私が世に送り出す器は、単なる食器や美術品ではない、と申し上げてきました。
一つひとつの器には、窯の中で炎と釉薬が繰り広げた、二度と再現できない壮大なドラマが刻まれています。
その器を手にすることは、美を「所有」することから、その背景にある物語を「継承」する役割へと、意味を昇華させる行為です。使い手は、日々の暮らしの中で器と対話し、その器に自分自身の物語を重ねていく。そしていつか、次の世代へとその物語を語り継ぐ。
それは、計り知れないほどの感情的価値を持つ、あなた自身の「精神的な遺産」となるのです。
『終わりに:あなたの物語を、この器に】
『窯の炎が織り成す至高の芸術』
それは、完成された美の享受ではなく、美が生まれる瞬間の奇跡に立ち会う体験です。
この器に注がれる一滴のお茶、盛られる一輪の花が、あなたの日常を、より豊かで哲学的な時間に変える一助となれば、作り手としてこれに勝る喜びはありません。




