書籍「社長たちの映画史」は日本映画の歴史とエピソードを、映画会社の社長たちを主人公として紹介している力作です。

断片的に日本映画の歴史を知っている方、シニア世代の日本映画ファンには興味深い。

533ページにわたる物語も、たちまち読破できる1冊です。

 

著者は作家・編集者の中川右介。

2023年1月20日 初版発行、まだ書店に並んでいます。

手に取ってご覧いただければと思います。

 

映画人口がピークに達した1958年(昭和33年)。

私の少年時代、東映の映画館の大銀幕に映る映画のタイトルの次に「製作・大川博」、大映は「製作・永田雅一」と、各映画会社の社長名がクレジットされていました。

(以降の文中の画像は本書のものではありません。)

<東映スコープ第1弾「鳳城の花嫁」より>

今の大手映画会社の社長は誰でしょうか。

 

投稿は本書の内容のほんの一部を紹介しています。

映画に賭けた映画会社の経営者たちや、三船敏郎・石原裕次郎・中村錦之助・勝新太郎などスタープロダクションの攻防と興亡。

映画のタイトルとエピソードがリンクしているので、興味深い構成になっています。

 

東宝争議と新東宝誕生、大映・永田雅一の絶頂、東映の快進撃、衰えぬ人気・嵐を呼ぶ裕次郎、五社協定の犠牲者、三船・石原対五社協定

 

業界全体が縮小傾向にあるなか、東映はすでに3割近いシェアを持っていたので社長・大川博は「1年に東映が96本、第二東映が48本撮って、年間100億円の収入」と豪語しましたが・・・

<東映ロゴ「岩に波」>

<第二東映ロゴ「山並に朝焼け」>

カメラがズームインして「ニュー東映」ロゴが出る。

撮影は東映特撮の重鎮・矢島信男。

<ニュー東映ロゴ「火山の噴火口」>

 

テレビ時代が始まって、大川博と大蔵貢(新東宝社長)の失敗、黒澤明監督の米映画降板と再起、大映・日活映画を配給するダイニチ映配の話。

 

1970年(昭和45年)映画産業全体の斜陽化のあおりをまともに受けた映画会社の大映・日活映画の封切作品が、文字通り映画館で同時に観られたダイニチ映配。

第1弾は青い海に展開する渥美マリ主演の大映「太陽は見た」(井上芳夫監督)と、日活「盛り場流し唄 新宿の女」(武田一成監督)の二本立て。

<ダイニチ映配ロゴ>

<「盛り場流し唄 新宿の女」ポスター>

 

1971年(昭和46年)日活は「八月の濡れた砂」(藤田敏八監督)、「不良少女・魔子」(蔵原惟二監督)の一般映画二本立てを最後に、労使協調してロマンポルノ路線に舵を切ります。

<「八月の濡れた砂」より広瀬昌助、テレサ野田、村野武範、藤田みどり>

 

日活が製作した日活ロマンポルノ第1作は「色暦大奥秘話」(林功監督)、「団地妻 昼下がりの情事」(西村昭五郎監督)の二本立て封切りで、映画界の興味深い話が続きます。

<「色暦大奥秘話」(林功監督)>

<「団地妻 昼下がりの情事」前野霜一郎、白川和子>

 

新東宝社長・大蔵貢の誰もが信じた歴史に残る迷言「妾を女優にした」、実際は違っていたようです。

<新東宝・大蔵体制時の青天白日クレジットマーク>

 

映画「黒部の太陽」(熊井啓監督)の妨害工作とクランクアップの話。

ご承知のように映画は大ヒットした。

<「黒部の太陽」ポスター>

 

高田馬場日活で「黒部の太陽」鑑賞時もらった懐かしいチラシ。

日本人が最も多く映画館に行った1958年(昭和33年)、年間総入場者は11億2745万人で過去最高となり、以後、これを抜く年はついに来なかった。

 

<本書より転載>

1958年、石原裕次郎の映画は第2位「陽のあたる坂道」ほか四作がランクイン。

「忠臣蔵」「日蓮と蒙古大襲来」など各社の超大作と、裕次郎主演映画の配給収入は互角だった。

「社長たちの映画史」映画に賭けた経営者の攻防と興亡

2023年1月20日 初版発行

著者は作家・編集者の中川右介

発行は日本実業出版社

定価2420円(10%税込)

 

書籍「社長たちの映画史」の紹介でした。

まだ書店に並んでいます。

手に取ってご覧いただければと思います。

 

文中、敬称略としました、ご容赦ください。