毎週土曜日の朝日新聞に「サザエさんをさがして」が連載されています。

私が子供時代に経験した懐かしい映画の黄金時代、まさに観客が詰めかけ映画館はラッシュ状態でした。

「映画に連れてってよう!!」と波平にせがむカツオ。

波平はしぶしぶ連れて行くが、映画館は超満員。

入場すらできない。

「ね、だからお父さんはお盆は混むといったろう?」と波平。

あきらめ気分でソファーに座って新聞を読む波平に、カツオは「つまんないよ~」と抗議するが・・・

 

漫画が掲載されたのは昭和33年。

テレビはそれほど普及しておらず、映画の黄金時代だった。

当記事の記者氏は長野市でシネコンを営む会長を訪ねている。

60年代にかけてとにかく観客が入ったという。満員だと通路に座り、さらに壁際や後方に空きがあると立ち見をすることも多々あった。現在のような「入れ替え制」ではなく、数回見ても、上映途中の入退場も自由だった。

「詰めるだけ詰め込んで、館内は電車の満員ラッシュ状態だった。覚えているのは嵐寛寿郎が明治天皇を演じて大ヒットした「明治天皇と日露大戦争」だ。「定員を大幅に超えて詰め込む日が続いたからね。当時は喫煙も自由。タバコを吸いながら見る人も多く、とにかくいい時代だった。」

 

記事にある「明治天皇と日露大戦争」(渡辺邦男監督)は、昭和32年4月公開の新東宝作品です。

1904年に始まる日露戦争を明治天皇(嵐寛寿郎)主軸に描いた戦争スペクタクル超大作。

特筆すべきは、日本映画史上初めて天皇をスクリーンに登場させた事でしょう。

観客動員数は2000万人、「日本人の5人に1人が観た」と言われ、日本の映画興行史上の大記録を打ち立てました。私も当時、映画館で鑑賞しました。

監督の渡辺邦男は新東宝の大蔵社長と企画を立ち上げ、嵐寛寿郎に明治天皇役を引き受けるよう話したそうです。アラカン(嵐寛寿郎)が「そらあきまへん、不敬罪ですわ、右翼が殺しに来よります」と慌てて断ったところ、渡辺は涼しい顔で「大丈夫や、ボクかて右翼やないか」と答えたという。アラカンは「身体はこまいが肝っ玉は太い」とこの監督を評しています。渡辺邦男監督は娯楽作品を多く手がけ,早撮りの名人と言われました。

新東宝初のシネマスコープ作品で、シネスコの整備が整っていない映画館向けにスタンダード版も製作されました。

 

《「明治天皇と日露大戦争」スタンダード版タイトル》

映画産業は1950年代に黄金期を迎えましたが、その後テレビが台頭し1960年代、急速に斜陽産業化していきます。

「明治天皇と日露大戦争」で空前絶後の大ヒットを飛ばした新東宝も4年後の昭和36年に倒産、大映も昭和46年に倒産、日活は性風俗を扱う日活ロマンポルノ路線へ転向していきました。

 

映画ファンとして、私の少年時代の懐かしい光景を思い出しながら投稿、2023.10.7朝日新聞の「サザエさんをさがして」記事から一部転載させていただきました。