京都で一番長い歴史を持つ映画撮影所、東映京都撮影所。

映画産業の黄金期、東映京都撮影所は東映城と呼ばれ、豪華絢爛たる時代劇映画がたくさん製作されていました。

私事、団塊の世代(昭和23年生)には、かつて地元下町の映画館・荒川銀映(東映系映画館)で観た東映時代劇が娯楽でした。懐かしいポスターを見ながら歴史と思い出を語ります。

鳳城の花嫁(昭和32年)

1953年、映画界は当時普及してきたテレビに対抗するため、米国の20世紀フォックスがアナモフィック(歪像)レンズを使ったワイドスクリーン「シネマスコープ」を開発し、同年の史劇「聖衣」(ヘンリー・コスター監督)がその第一作となりました。

初の“シネマスコープ”の迫力は、ロングで捉えた群衆、スピード感溢れる馬車疾走シーン、宮殿のスケール感、女優陣の衣装の豪華さなど大画面ならではです。

20世紀フォックスのファンファーレに続き、シネマスコープのロゴ。

「The Robe(聖衣)」 タイトル。

美人女優ジーン・シモンズとリチャード・バートン。

<20世紀フォックス「聖衣(THE ROBE)」より>

 

日本映画は昭和32年4月2日、東映が日本最初のワイドスクリーン “東映スコープ” 鳳城の花嫁」を封切ります。

 

邦画初のワイド映画(東映スコープ)「鳳城の花嫁」を手掛けた監督の松田定次は、東映京都のトップ監督として東映を業界首位に押し上げ、大作を多く手掛けました。東映オールスターキャストの忠臣蔵映画を3本も演出しています。その後はテレビ時代劇に進出し、月形龍之介主演のテレビシリーズ「水戸黄門」(昭和39年)、栗塚旭の「風」(昭和42年)などをメイン監督として演出しました。

鳳城の若殿・松平源太郎(大友柳太朗)は、もうすぐ三十歳になるというのに、いまだ独身。城内での嫁選びの宴にも興味を示さず、自分の嫁は自分でみつけると、たった一人で旅に出ます。

 

跡取り息子の源太郎(大友柳太朗)に、嫁選びも親孝行のうちと説く、松平家の家老・大島嘉門(薄田研二)。

<薄田研二、大友柳太朗>

 

源太郎に思いを寄せる おきぬ(長谷川裕見子)、仲を取り持とうとする妹のおみつ(中原ひとみ)。

中原ひとみ、長谷川裕見子>

 

<田崎潤、長谷川裕見子、中原ひとみ、大友柳太朗>

大友柳太朗演じる30歳過ぎた若さまの花嫁探しを明朗なタッチで描いた娯楽時代劇。

共演は長谷川裕見子、中原ひとみ、薄田研二、進藤英太郎、原健策、加賀邦男らの東映陣に、他社から参加の志村喬(東宝)、田崎潤(新東宝)。

 

500人ものエキストラが動員された二条城でのロケ、花嫁候補がずらりと並ぶ嫁選びの宴、大友の剣さばきも見どころで、ワイド画面で臨場感倍増です。

 

 

<進藤英太郎、大友柳太朗>

 

「鳳城の花嫁」は全国の東映封切館7館に初日だけで合計約5万人もの観客が詰めかけたと云われています。

<渋谷東映 封切りの様子>

 

私も封切りから3週遅れの東映3番館「荒川銀映」で初めて観た「鳳城の花嫁」。

日本映画ワイド時代の幕開け“東映スコープ”の迫力が忘れ難い。

この頃は、映画館入場者数が史上トップになった年といわれています。

アナモフィックレンズ*で、お城の柱が多少歪んで見えても、画面3倍・興味100倍のキャッチフレーズで売り出した“東映スコープ”の威力は絶大で、松田定次監督手練の娯楽映画の楽しさと共に横長の大画面に圧倒されました。さすが時代劇の東映です。

 

*アナモフィックレンズ:撮影時にフィルムの横方向を1/2に圧縮して、映写時に2倍に戻すことで横長のシネマスコープ映像を得る特殊なレンズです。基本的には撮影機や映写機にアナモフィックレンズを取り付けるだけなので大きな経費が掛かりません。

<アナモフィックレンズ>

 

この頃はまだ、新作2本立ての量産体制時代で、併映のプログラムピクチャーを製作していました。

記録では「鳳城の花嫁」との同時上映は大川橋蔵主演「若さま侍捕物手帖 深夜の死美人」(深田金之助監督)です。

 

<大川橋蔵、浦里はるみ>

 

当時の映画会社の初ワイドスクリーン映画一覧表です。大手映画会社だけでも6社存在しました。

映画会社

公開年月

題名

出演者

東映(東映スコープ)

昭和32年4月

鳳城の花嫁

大友柳太朗、長谷川裕見子、中原ひとみ

新東宝(新東宝シネスコ)

昭和32年4月

明治天皇と日露大戦争

嵐寛寿郎、阿部九州男、高田稔

大映(大映ビスタビジョン)

昭和32年6月

地獄花

鶴田浩二、京マチ子

日活(日活スコープ)

昭和32年7月

月下の若武者

長門裕之、津川雅彦

浅丘ルリ子

東宝(東宝スコープ)

昭和32年7月

大当り三色娘

ひばり、いづみ、チエミ、宝田明

松竹(松竹グランドスコープ)

昭和32年7月

抱かれた花嫁

有馬稲子、大木実、高千穂ひづる、

 

《各社の第1回ワイドスクリーン映画ポスター》

<東映 鳳城の花嫁>

当時、カラー作品のポスターは “総天然色”と書かれていました。

 “東映スコープ第1弾”の文字も誇らしげです。

 

<新東宝 明治天皇と日露大戦争>

昭和31年に新東宝が初めてシネマスコープ方式の「明治天皇と日露大戦争」の製作を開始しましたが、その公開前に東映が「鳳城の花嫁」を急遽完成させ、日本初の総天然色シネマスコープ映画となりました。

「明治天皇と日露大戦争」で空前絶後の大ヒットを飛ばした新東宝も、4年後の昭和36年に映画産業斜陽化で倒産します。

 

<大映 地獄花>

大映は当初、米国パラマウント・ピクチャーズ社が20世紀フォックス社のシネマスコープに対抗して開発したビスタビジョン方式を採用しています。ビスタビジョン方式は画質が良い反面、カメラが大型化するとなど機材等の費用が掛かったため10作品を製作し、以降「雪の渡り鳥」(加戸敏監督・長谷川一夫主演)からシネマスコープ方式の「大映スコープ」に変更しています。

 

<日活 月下の若武者>

日活スコープ第1回作品「月下の若武者」。

長門裕之、津川雅彦兄弟と父・沢村国太郎が初共演しています。

 

<東宝 大当り三色娘>

東宝スコープ第1回作品は、美空ひばり、江利チエミ、雪村いづみの三人娘がお手伝いさんに扮し、恋と歌と青春が明るく楽しく描かれるミュージカル作品「大当り三色娘」。

 

<松竹 抱かれた花嫁>

松竹のワイド映画“松竹グランドスコープ“第1回作品は、明朗喜劇花嫁シリーズの第一作「抱かれた花嫁」。

美人の有馬稲子と小坂一也の挿入歌が心に残っています。

 

文中、敬称略としました。ご容赦ください。