昭和30年代の話です。

東京下町「仲町通り商店街」(東京都荒川区)の一角に、映画館「荒川銀映劇場」はありました。

 

<今も変わらない「仲町通り商店街」>

「荒川銀映」は東映3番館(封切作品を約3週目に上映する映画館)で3本立て。

映画館入口の左右掲示板に貼ってある、上映中・次週上映のポスター、スチール写真を飽きもせず眺めていました。

映画館内の両壁に東映スターの額入り写真や、市川右太衛門が映画「旗本退屈男」で身に着けた衣装が飾ってあったのを覚えています。

当時は1週間毎に作品が替わります。この頃の東映映画は冒険物、連続活劇時代劇など、子供の夢を掻き立てる作品が多く毎週のように通っていました。

入替無しですから一日中観て居られます。話題作は立ち見客も多く満員でした。

<東映の少年冒険時代劇・ポスター>

 

<東映の警視庁物語シリーズ・ポスター>

 

<中村錦之助・内田吐夢の宮本武蔵5部作・ポスター>

 

こちらは胸躍る! 大友の「快傑黒頭巾」、東映映画版「月光仮面」の最強2本立て新聞広告。

「月光仮面」に女優時代の山東昭子議員(参議院議員)が出演しています。

 

日本最初の長編漫画映画「白蛇伝」も、東映スコープの娯楽時代劇「鳳城の花嫁」も「荒川銀映」で観ました。

総天然色(カラー作品)です。

<日本最初の総天然色・長編漫画映画「白蛇伝」・ポスター>

 

<邦画初のワイドスクリーン、東映スコープ「鳳城の花嫁」ポスター>

シネスコ用のアナモフィックレンズで、お城の柱が多少歪んで見えても“画面3倍・興味100倍”のキャッチフレーズで売り出した東映スコープ”と、総天然色イーストマンカラーの「鳳城の花嫁」は大迫力。

松田定次監督手練の娯楽映画の楽しさと、確かにスタンダードサイズの3倍はある横長の大画面に圧倒されました。

キャストは大友柳太朗、中原ひとみ、長谷川裕見子、薄田研二、進藤英太郎、原健策、加賀邦男、片岡栄二郎など、東映時代劇を支えた懐かしい俳優さんが並んでいます。

さすが時代劇の東映です。初めて銀幕で見たワイドスクリーンの迫力は今も忘れません。

 

<東映スコープ 「鳳城の花嫁」のタイトル画像>

アナモフィックレンズは、撮影時にフィルムの横方向を1/2に圧縮して、映写時に2倍に戻すことで横長のシネマスコープ映像を得る特殊なレンズです。

基本的には撮影機や映写機にアナモフィックレンズを取り付けるだけなので大きな経費が掛かりません。

<アナモフィックレンズ>

 

当時の映画会社の初ワイドスクリーン映画一覧表です。

大手映画会社だけでも6社存在しました。

映画会社

公開年月

題名

出演者

東映(東映スコープ)

昭和32年4月

鳳城の花嫁

大友柳太朗、長谷川裕見子、中原ひとみ

新東宝(新東宝シネスコ)

昭和32年4月

明治天皇と日露大戦争

嵐寛寿郎、阿部九州男、高田稔

大映(大映ビスタビジョン)

昭和32年6月

地獄花

鶴田浩二、京マチ子

日活(日活スコープ)

昭和32年7月

月下の若武者

長門裕之、津川雅彦

浅丘ルリ子

東宝(東宝スコープ)

昭和32年7月

大当り三色娘

ひばり、いづみ、チエミ、宝田明

松竹(松竹グランドスコープ)

昭和32年7月

抱かれた花嫁

有馬稲子、大木実、高千穂ひづる、

 当時、私も8ミリ撮影機にアナモフィックレンズを取り付けて、自作のシネマスコープ版8ミリ映画を撮って楽しんでいました。

 

「荒川銀映」では上映前に

『大変長らくお待たせいたしました。これより・・・を上映いたします。最後までごゆっくりご鑑賞ください』

の場内アナウンスと、開映のベルがありました。

 

館内に禁煙の案内板がありましたが、タバコを吸いながら鑑賞する客も多く

『おタバコは映写効果を妨げるばかりでなく、火災予防・・・』

などのアナウンスもよく聞きました。今では信じられない光景です。

現在、「荒川銀映」があった場所は、住宅やマンションが建っていて、昔の面影はありません。

 

今の映画館はシネコンが主流。

デジタルで画像も鮮明になりましたが、上映前のアナウンスや開映のベルはありません。

<イオンシネマ千葉ニュータウン>

 

文中、敬称略としました。ご容赦ください。