緊急事態宣言で外出自粛の折、我が家の大型テレビで、
久々に中村錦之助版「宮本武蔵」DVD一挙上映を楽しみ、
併せて、原作・吉川英治の小説「宮本武蔵」を読み直しました。
記事の分量が多いため、その1、その2に分割掲載します。
50年程前、
新宿東映で中村錦之助(萬屋錦之介)の「宮本武蔵」全5部作一挙上映、仲代達矢の「人間の條件」全6部作一挙上映、新宿大映で増村保造監督特集、新宿文化でATG(日本アート・シアター・ギルド)特集など、各映画館の魅力あるプログラムのオールナイト上映を鑑賞しました。
観客も多く、夜10時頃から上映開始、始発電車が動き出す朝まで、劇場で鑑賞していたシニア世代の思い出です。
DVDは平成15年に購入した宮本武蔵愛蔵BOX(初回限定生産=この文句に弱い)。
「宮本武蔵」「 宮本武蔵 般若坂の決斗」「宮本武蔵 二刀流開眼」「宮本武蔵 一乗寺の決斗」「宮本武蔵 巌流島の決斗」を年1作、5年がかりで連作した内田吐夢・監督の渾身作。上映時間9時間30分。
レンタルDVDも出ていますので「宮本武蔵」全5部作、是非ご鑑賞ください。
小説は昭和50年頃に購入した吉川英治・著「宮本武蔵」全8巻。講談社・吉川英治文庫。
宮本武蔵のイメージを決定付けた、吉川英治の朝日新聞連載小説で、最初は二百回ぐらいの約束で新聞連載を始めたようですが、
作者・吉川英治の意気込み、読者、新聞社の熱望で千余回の大作に発展した大衆文学の最高傑作の一つです。
近くに大きな図書館があれば、蔵書があると思います。
文豪・吉川英治の不朽の名作を、巨匠・内田吐夢が監督した大河ロマン。
時代劇全盛時代の東映京都撮影所で製作された時代劇は、活気があり面白い。
何度観ても飽きません。
脚本は成沢昌茂・鈴木尚之・内田吐夢。
撮影は坪井誠・吉田貞次が毎回交代で撮っています。
吉川英治・著「宮本武蔵」原文の私が好きな個所を、映画の画像と一緒に抜粋しました。
原作を読んでいると、先に観た映画の場面が頭に浮かびます。
第1作目「宮本武蔵」
(昭和36年 東映スコープ カラー 110分)
関ケ原の戦いで、一国一城の夢描いた武蔵(中村錦之助)は、幼馴染の本位田又八(木村功)を誘い、豊臣方の戦列に加わったが、夢破れて敗残の身となり、伊吹山中のお甲(小暮実千代)と朱実(丘さとみ)の家に隠れていた。
故郷に帰ると、厳しい残党狩りと、又八の母・お杉(浪花千栄子)の強い憎しみにあったが、宗彭沢庵(三國連太郎)の救いの手が差し伸べられた。
半死半生の千年杉から武蔵を助けたお通(入江若葉)の心に、いつしか湧きはじめた慕情があった。
姫路城天守の幽閉生活で英知の光が輝き始め、3年が過ぎた。
沢庵が武蔵を境内の千年杉に吊るしあげて、人生の教訓を説く場面。
沢庵:「そこから世の中の広さを眺めて、考え直せ。いや、間に合わんかな。」
武蔵:「ワーーーっ!無念だ―」
沢庵:「おーおー、えらい力じゃ、樹が動くは・・・。しかし大地はびくともせんではないか」
武蔵:「もういっぺん生きてみたい! 助けてくれ!」
沢庵:「いかん、やり直しが出来んのが人生だ」
<吉川英治・著「宮本武蔵」地の巻・千年杉の章より原文抜粋。>
「はははは。武蔵、なかなか元気でおるな」
沢庵は、声のする大樹の下へ、草履を運んで行きながら、
「元気はよいらしいが、近づく死の恐れに、逆上しての、気ちがい元気ではあるまいな」
程よい所に足をとめて、仰向くと、
「だまれっ」
武蔵の再びいう声だ。
元気というよりは怒気であった。
「死を恐れる程ならば、なんで神妙に貴さまの縛をうけるかっ」
「縛をうけたのは、わしが強くて、おまえが弱いからだ」
「坊主っ、何をいうか!」
「大きく出たな。今の言い方がわるければ、わしが悧巧(りこう)で、おまえが阿保――といい直そうか」
「うぬ、いわしておけば」
「これこれ、樹の上のお猿さん、もがいた所でこの大木へ、がんじ絡みになっているおまえが、どうにもなるまい、見ぐるしいぞ」
「聞けッ、沢庵」
「おお、なんじゃ」
「あのとき、この武蔵が争う気ならば、貴様のようなヘボ胡瓜、踏み殺すのに造作はなかったのだぞ」
「だめだよ、もう間に合わん」
岡田茂(後の東映社長)は、当時「志村妙子」名で東映に所属していた太地喜和子を“お通”役に抜擢したが、太地は「舞台の道に進む」と大役を断ったという逸話があります。
岡田は「太地さんが志村妙子として東映に残っていれば、映画界から大スターへの足跡を辿ることになったと思う」と話しています。
入江若葉の“お通”は、内田吐夢監督が「彼女で是非やりたい」との強い希望であったようで、新人らしく清楚で素敵でした。
<お通役の入江若葉>
三國連太郎は沢庵役が決まると、事前に剃髪を済ませて、京都の妙心寺に1か月ほど宿泊し、禅僧の衣装を着けて一汁一菜、修行僧になったつもりで撮影所に通ったそうです。
<入江若葉と沢庵役の三國連太郎>
お杉役の浪花千栄子は、NHK朝ドラ「おちょやん」のモデルとなった人です。
<権爺役の阿部九州男と、お杉役の浪花千栄子>
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
第2作目「宮本武蔵・般若坂の決斗」
(昭和37年 東映スコープ カラー 106分)
花田橋でお通と再会するが、剣一途を求める武蔵は、お通の慟哭を背に、修行の第1歩を吉岡道場に刻んだ。
京都で吉岡道場を破り、旅を続ける武蔵は奈良・宝蔵院を訪ねる。
武蔵の人間形成と、般若坂で不逞浪人集団を退治する決斗シーンが面白い。
<お通が武蔵を3年待った、約束の花田橋であったが・・・>
《私の好きな原作の個所》
奈良・宝蔵院での試合後、老僧日観(月形龍之介)が武蔵を戒しめる場面。
試合に勝った武蔵が「敗れた!」と呟く。
<老僧日観役の月形龍之介(左)>
日観:「茶粥をしんぜよう」
<吉川英治・著「宮本武蔵」水の巻・茶漬の章より原文抜粋。>
「宮本武蔵と申されたの」
「左様でござります」
「兵法は誰に学ばれたか」
「師はありませぬ。諸国の先輩をみな師として訪ね、天下の山川もみな師と存じて遍歴しておりまする」
「良いお心がけじゃ。――しかし、おん身は強すぎる、余りに強い」
誉められたと思って、若い武蔵は顔の血に恥じらいをふくんだ。
「どういたしまして、まだわれながら未熟の見えるふつつか者で」
「いや、それじゃによって、その強さをもすこし溜めぬといかんのう、もっと弱くならにゃいかん」
「ははぁ?」
「わしが最前、菜畑で菜を耕っておると、その側をおてまえが通られたじゃろう」
「はい」
「その折、おてまえはわしの側を九尺も跳んで通った」
「は」
「なぜ、あんな振舞をする」
「あなたの鍬が、私の両脚へ向かって、いつ横ざまに薙ぎ付けて来るかわからないように覚えたからです」
「はははは、あべこべじゃよ」
老僧は笑っていった。
「お身が、十間も先から歩いてくると、もうおてまえのいうその殺気が、わしの鍬の先へびりッと感じていた。殺気は、つまり、影法師じゃよ」
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
第3作目「宮本武蔵・二刀流開眼」
(昭和38年 東映スコープ カラー 104分)
武蔵は、柳生の庄で剣聖と呼ばれる柳生石舟斎(薄田研二)に会おうとするが、お通の笛の音が流れ、ハッとした武蔵は瞬間、小刀を抜き放って二刀流の構えとなっていた。
洛北の蓮台寺野、吉岡の門弟約四十人のとりかこむ中で、武蔵の一撃は吉岡清十郎(江原真二郎)の肩を砕いた。
武蔵の人生最大のライバル佐々木小次郎(高倉健)が登場する。
<佐々木小次郎役の高倉健>
柳生石舟斎は吉岡清十郎の弟、伝七郎から一手指南を求められるが、お通に芍薬(しゃくやく)の一枝を託して拒絶する。
柳生の庄に帰ったお通と、石舟斎の会話。
伝七郎:「これを土産にだと、ばかな。芍薬は京にも咲いていると伝えてくれ」
石舟斎:「芍薬を手に持って見たろうな」
お通:「はい。そのまま、つき戻してよこしました」
<吉川英治・著「宮本武蔵」水の巻・芍薬の使者の章より原文抜粋。>
「芍薬は、捨てて来たか」
と訊いた。
旅宿の小女に与えてきたというと、その処置にもうなづいて、
「だが、吉岡のせがれ伝七郎とかいう者、あの芍薬を、手には取って見たろうな」
「はい、お文を解く時」
「そして」
「そのまま突き戻しました」
「枝の切り口は見なかったか」
「べつに・・・・・」
「何も、そこに眼をとめて、いわなかったか」
「申しませんでした」
石舟斎は、壁へいうように、
「やはり会わんでよかった。会ってみるまでもない人物。吉岡も、まず拳法一代じゃ」
記事の分量が多いため、「宮本武蔵」★映画と小説(その2)」に分割掲載します。
つづく