蓮如さんのお言葉でした
これは聴聞の時、な~んにも言わないで
帰ってしまう人を指して言った言葉です
聴聞の場で、何も言わない人は、自分は
もう分かったと思っているか、話すのは
恥ずかしいと黙っています
自分が何を語るかで、自分が理解している
度合を、他人の耳を通して判断出来ます
その作業をしないで、自分は分かっている
のだから、確認の必要はないと思う事は
とても恐ろしい事です
また、自分の中に収めてしまっている想い
は、出さない限り仏も救えないと言います
別の観点から言いますと
最近私の周りで、突然の急性痛に悩まされ
て来院される方が多くあります
実は私自身も、かれこれ3週間程前から、
首の不調と付き合っています
自覚症状としては、ちょこちょこありました
が、それらは痛みを伴うものではなかった
為に、放っておいたのです
ある日、激痛を発し、それから自己治療
を続けています
推測してみると、大体3年分の凝りが、知らず
知らずに溜まっていたようです
恐ろしいのは、こういった凝りというのは、体が
慣れて行きますので、ここまで溜まったという
事に気が付きにくいのです
なまじ、気の訓練などをやっていて大丈夫だ
ろうと思っていたのもの悪かったのですね
これなんて、他者に触ってもらえば、一発で
とてつもなく固い事が分かった事でしょう
これは体の事だけではありません
心も全く同じなのです
知らず知らずに、凝り固まっている事に
気付けず、より学んだのだから、より悟った
と思って、ただ我を固くしてしまっているだけ
の人になってしまっているものです
聴聞を必要とするのは、このような過ちに、
直ぐに気が付いて、修正が早く出来るから
です
善智識、善友のいない人は、気を付けて
下さいね