師弟子の法門というのが、日蓮仏法

にあります

 

これそのものの解説はさておき

まして

 

師と弟子の修行というものは

違って来るという事に注目し

たいと思います

 

あれ?仏道修行なんだから

一緒じゃないの?

 

・・・と、思われるでしょうが、違うの

です

 

例えば、日蓮仏法の真実を解き明か

した大老は、御書の十大部を1000回

以上読み、六巻抄は漢文で暗記した

と言います

 

天才的古文書の研究者ですら、1000回

も十大部を読む

 

その結果が、今の宗門達の教義が日蓮

の真意を捉えてなかったと知らしめた訳

であります

 

これが師の修行方法です

 

これと同じ事をしないと、日蓮仏法が実践

出来ないというならば、仏法の価値は無い

のに等しくなります

 

親鸞さんの教行信証についても同じで、

あんな読んでてつまらんもん何回も読む

って・・・凡人に出来るこっちゃない

 

師と弟子の修行は、違って当然なのです

 

折伏という〇価学会を大変有名にした

夜を徹して行われたという信者獲得も

 

師と弟子では全然違うものであります

 

その前に、折伏は、相手を言い負かせる

事じゃないしね