序文

 

ひそかに愚かな思いをめぐらせて、かつて親鸞聖人

から教えて頂くことができたあの頃と、今日を考えて

みますと

 

 

 聖人から直接教えて頂いた他力真実の信心と、異なる

ことが説かれて いるのは、なんと嘆かわしいことでしょう

 

 

これでは聖人の教えを学ぶ後輩が、正しく学び、伝えるの

に、疑いや惑いが生じかねません

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歎異抄を著した作者が、親鸞聖人から聞いた、他力の教え

とは違った教えが、蔓延っている事を嘆くこの序文に、既に

現在の他力信心の状況が表されています

 

他力とは何か?

 

真実の信心とは何か?

 

教えを学ぶにはどうするべきか・・・

 

 

これらについて、現在も誤解されているままであるので、

歎異抄全てについて、その真意に光を当て、明かしたい

と思います

 

 

他力とは何か?について解説する前に、他と聞くだけで、

自分の自由性を奪うものと認識している人がいるので、

まずそれから書きましょう

 

 

自分は何ものにも縛られず、何ものにも属さない、一匹

オオカミだ!

 

と威張っておられる方がいますが、そもそも

人間に真の自由などございません

 

 

真の自由というのは、何ものにも影響される事のない

事ですから、ちょっと青酸カリ飲んだり、100日ほどトレーラ

ーに監禁されて低周波流され続ける位で、死んだり、精神

崩壊するような者を、自由な者とは呼びません

 

 

人は結局は何かに属しますし、そうでなければ意識が進化

して行く事が出来ないのです

 

 

人にあるのは、選択の自由だけで、結果は選べません

 

 

だから、大切なのは何を選ぶかで、選ぶ価値のある

方向を、お釈迦様は示したのです

 

 

ここで注意なのは、方向を示しただけで、方法は限定

していないという事です

 

それでは、また!