禅定を、反省法と理解している所と、
無になると理解している所があります
人は、生きている間は、意識が停止する
事はありません
植物人間になっても、意識が無いわけ
ではありません
反省するという方向に意識を向ければ
反省法
無になろうとする方向に向ければ、瞑想
法になります
よく誤解されているのは、この無という
言葉で、これは自分を無くすということでは
ありません
自分が無くなる事は、永遠にない
それは、もう生まれ変わらないように
霊界の浄土に住んでも同じです
では、何を無にするのか?
私が考えるという事を出来る限り無
にするのです
雑念は考えているのではなく、意識に
浮かんでくるものですから、止めようと
しても出てきます
ですが、意識を自分の内側、つまり、
真の自己に向けるように意識してい
ると、表の自分は考えられなくなるの
で、その状態を瞑想と言っています
当然、真の自分は仏性ですから、瞑想
中は自分は仏と接触している事になり
ます
たとえ一瞬でもこれは大変価値のある
事で、浄土真宗には瞑想はありません
が、その代わりに念仏があるのです
念仏をしている時は、阿弥陀仏に全意識
を集中させるので、その瞬間は仏に遇っ
ているのです
親鸞や、日蓮などの著述には、念仏や
題目を唱えるだけで、勇気や感動が湧き
起こるように書いてあるところがあります
これは、瞬間にでも仏に遇うと、我々に
仏力が作用し、活きるエネルギーが注が
れるからです
我々は、我々でないものによって、どこま
でも活かされ、生きて行くのですね