別件で検索していましたら、仏教の意見を述べ

合っているサイトを見つけました

 

 

4~5分見て、学者の集まりだと分かり、興味が

無くなりました

 

 

仏教とは学を論じる為のものでしょうか?

 

 

それらはノイズに過ぎません

 

 

仏法者として生きるとは

 

 

「南無阿弥陀仏」に生きている人を見て敬い

追従しようとする事

 

 

または、そういう人は周りにいないが、私が

「南無阿陀仏」の人になろうとする

 

 

理想は「南無阿弥陀仏」と生きている人を見て

育って行く事ですが、たとえその存在が身近に

無くても、そうなりたいと心から願うならば、仏性

はそう導いてくれます

 

 

 

 

もちろん、「  」内は、南無妙法蓮華経でも、その

他なんでも結構なのです

 

 

 

 

それではただの盲信になってしまうのではない

か?

 

 

盲信・・・・

 

 

ん~

 

 

仏に頭が下がって生きている状態の人を盲信

者と呼び、仏の教えを学究して論議を繰り返す

人が正信者と呼ばれるべきなのでしょうか?

 

 

仏法に帰依するとは、仏の法を生きる基準に

するという事です

 

 

 

 

学に迷う事は、あまり意味がないと思います