こんばんわ。
今日が今年もやってきました。
3月11日14:46
2011年のあの日は教育実習のお願いをしに宮城県石巻高等学校へ午前中お邪魔しました。
金髪だった私は黒染めスプレーで違和感満載のハタチの大学生。
久しぶりの恩師たちに会い、楽しい春休みが始まるはずでした。
緊張も解け、祖母と母と車で移動。
石巻でごはん食べてもよかったけど、その日は帰宅しました。
とにかく黒染めスプレーが気持ち悪かったので、荷物を玄関に投げ風呂に入りました。
とにかく気持ちが悪いので髪の毛を真っ先に洗いました。
地鳴り・・・
んだよ、またかよ~ぐらいにしか思いませんでした。
それくらい地震に慣れてしまっていました。
でも・・・揺れて・・・
シャワーが止まってしまったのです。
さすがにこれは無い。今までにない。
急に怖くなった・・・そして来た。
めちゃくちゃえげつない揺れ。
半分黒いあわの残った、金髪裸女。おわった・・・
目の前では家が天井と床が交互に揺れてものが崩れていきます。
何もできない、動けない、しかも裸・・・
「服きろ!!!」
お母さんに言われるまでもう何が何だかわかんなくなってました。
はっとして適当に服着て、とりま室内用フットサルシューズを履く!
地震が終わった・・・
お母さんは片づけを始めました
ばあちゃんは足腰が悪いのでテーブルの下に移動させました
やばい、やばい
お父さんは仕事。なにかあれば海の近くを見回る仕事
弟は石巻の高校
妹は石巻の自動車学校
やべーぞ
これはやばい。みんなどうしてんだ
懐かしのmixi開こうとしたら圏外
えー
座敷の縁側に行って電波を拾おうとしたんです
入んない
やべーじゃん。ふと目の前の海、町を見た。
電信柱倒れてんじゃん
火吹いてんじゃん
え、消えてく
あれ、近づいてく
なにあの黒いコーヒー牛乳みたいなの・・・
え・・・え・・・町が
もうわかったときにはパニックでした。
津波
ずっとくるって言われていた宮城県沖地震
あれ津波だ
わめいて泣いて騒いで
お母さんの片づけを必死にやめさせた
説明が説明じゃない、説明できない
わめいた。
家にくる、津波が・・・
貴重品持とうとする母
わめいた
姑である祖母を玄関まで連れてきた
間に合わない、わめいた
みんな助けたいのに・・・間に合わない
ここにいたらみんな死ぬ
ばあちゃん重くて持てない、歩けない
母も泣いてた
「行け!だめだ・・・もう」
そうして祖母を何とか持ち上げようとする母
だめじゃない、わめいた
でも早くしないと・・・終わりだ
音、におい全部覚えてる
「あんだだけでも行け!」
強い後押し
そういわれても・・・さすがに・・・でも
「いけ!!!」
よくわからない感情で家を飛び出しました。
「きて!いくからね!!!」
泣きわめきました
波がうしろからせまってきます
走馬燈ってガチで見えるんだ・・・・
だめだ!!
生きたい!!!
心からそう思って走りました
悔いはない!悔いはないけど、死にたくない!
溺れたら苦しい!やだ!
やだーーーー
顔面から汁という汁がでまくる
叫ぶ、恐怖、生きたい
うしろを振り返り騒ぐ
はやく!!って言ったかな。
もう自分でも何を言っているかわかりませんでした。
母が荷物いっぱいもってきた
ちょっとだけ正気に戻った
「なにしてんだ!すてろ!いらねぇ」
「あぁ・・・もうだめだ」
「だめじゃねぇ!走れ!!!」
うしろからは波がきていました。
荷物を持って母の手を引き山に行きました。
家は海につかりました
ばあちゃんは・・・
「おばあさん置いてきてしまった」
泣く母
仕方ない
そう母にいいきかせて私も泣いた
母だけでも助けなきゃ
ごめん、ごめんずっと謝った
もう地球が終わるっておもった。
うち高台じゃん、地震に強い家っていってたじゃん
なんで・・・なんで山の前が海なんだよ
雪が降ってた
もう狂ってた
きしむ音、いろんな声、波が押し寄せる・・・
まだ高いとこ行かなきゃ
山で遊んでた勘をたよりに秘密基地のとこに向かう。
その途中県の職員さんに会って三人で夜まで山にいました。
寒いし、暗いから下がろうって言われたけど
また津波くるんじゃないかって怖かった
下がって、うちの後ろの家に近所のひとたちが集まって暖をとってました。
名前を名簿に書きました
ばあちゃんの名前がありました
濡れてました。震えてました。
浮いてたとこ助けてもらったらしい。
ごめんなさい
生きててくれてありがとう
違う涙があふれてきた
誰かのラジオから
気仙沼は火が出てる、女川は連絡とれず壊滅的・・・
外からの不穏な音と不吉な情報
ろうそくの火、ぎゅうぎゅうの部屋
それはそれは不安な夜をすごしたもんです。
そして朝。
これもまた違う涙。
もうそこに町はありませんでした。
そこからサバイバル生活が始まるのです。

今日はBSジャパンで
『サンマとカタール~女川つながる人々~』が流れていました。
このドキュメンタリー映画の中で私の母、そして家族の物語が残されています。
ぜひ観てみてください。DVDになってます。
復興、生きる希望すら失った私の東日本大震災のことをちょっと書いてみました。
いまでもにおい、音、いろんな感触、全部思い出します。
忘れたくても忘れることなんてできないほどにえぐられた心。
家族の愛。大切さ。
生きれなかった方々のためにも、死ぬまで一生懸命生きます。
つらくても、生きるの!
「水思いっきり飲む!」が目標だったんだから。
風呂入りてぇ~、ごはんたべてぇ~
全部いまできてるし!
もうだめ!って思ったけどいるし!
町なくなったら、町できたし!
だめって思ってからの人間の強さね!
お父とは数日後会えました。
妹と弟はしばらく会えなかったけど会えました。
めちゃくちゃ嬉しかった。
本当に愛おしかった。
当たり前が当たり前じゃないんだって気付いたよね!
一緒に笑えるのも!
みんながみんな
それぞれの命を必死に守ったからだよ!!!!
そして周りのひとの優しさやつながりで生きてこれたからだよ!
今日は弟と過ごしました。
14:46黙とう
これからも前に進もう!
なるべく笑顔が多い人生でありますように。
みなさんも私も。
そしてたくさんの無念の想いをした方々のためにも。
生きよう!
出来ることをしよう!
出来ることを無理せず。おだやかに。
家族を、仲間を愛そう!!!
⊿あべみな