経営シミュレーションゲーム(TG)を使って

従業員脳から経営者脳に替えるお手伝いをしている

TGインストラクターの 松本 裕子です。

 

福岡市中央区平尾にある 平尾山荘です。

 

 

 

ひすいこたろう 著

A-Works 発行

 

SNS では 「ラスガツ」 として人気だと聞いたので 読んでみました。

 

この本に取り上げられた 5人のサムライ 

サムライの語源は「さぶらふ」という動詞だと書かれています。

「さぶらふ」とは 「大切なものを守る」という意味だそうです。

 

自分の命を越えて大切にしたいものを見出し、そこに生きる理由を見出した5人

吉田松陰・高杉晋作・ジョン万次郎・坂本龍馬 そして

野村望東尼が書かれていました。

 

「野村望東尼」(のむらぼうとうに)

福岡の武士の家に生まれた 「浦野もと」

生け花をたしなむ風流な父の元 歌詠みや文学に興味をもち

歌人 二川相近のもとで歌・書・学問を学びます。

 

2度目の夫 野村貞貫との間に 子どもが出来ますが

なんと 授かった四人とも生まれた次の日には亡くなってしまうという

辛い辛い経験をします。

自身も結核という不治の病にかかってしまい 

一生苦しむことになります。

 

夫が悲しむ「もと」の為に 身分に関係なく気軽に出入りできる別荘をつくり

歌作りに専念させたい、病のためにも自然豊かな場所に身を置けるように、と

作ったのが 「平尾山荘」 です

 

今は福岡市の中心地と言ってもいいようなところです。

 

「もと」 が 54歳の時 夫が亡くなります。

支えてくれた夫が亡くなり 立ち直る事もできないかもしれないほどの

悲しみを救ったのは 

夫 野村家の菩提寺 曹洞宗明光寺での

禅の教えと坐禅だったと書かれています。

 

自分の内なる世界と深く向き合い、ひとり静かに、

自分の心の動きをありのままに見つめる

いいも悪いも判断せず そのままに感情を客観的に見つめる。

どんなことが起きても 心は私次第。

 

状況が心を決めるのではなく

自分の心は自分が決められる。

 

それから 「もと」は 剃髪し仏門に入ります。

そして 望東尼 と名乗ります。

 

それからの彼女は自分の本心にそって自由に生きようとします。

恩師が「楽しいと思うことをしないで終わってしまう事ほど愚かな事はない」

と教えてくれたことを思い出します。

 

そして 京都へ旅をします。

望東尼 54歳ごろの事だと思われます。

神社仏閣の名所めぐりだけでなく

和歌の師匠を訪ね 夫と二人で詠み溜めてきた和歌を見てもらい、

遺稿集を作ろうと考えたのです。

 

ちょうどその頃の京都は 変革のエネルギーが渦まき

水面下で若い志士たちが活動を始めていた頃だったようです。

京都で政治に興味を持った 望東尼は 

「新しい時代に自分が出来る事は何だろうか」と考え

京都での人脈や情報を地元の福岡につなげ

新しい時代をつくろうとする若者を 平尾山荘にかくまう活動に入ります。

 

高杉晋作が 功山寺の挙兵の前に

福岡の地で10日ほどかくまわれたことは有名です。

 

その後 望東尼は 志士をかくまった罪で 玄界灘の姫島に島流しにあいますが

10ケ月後 高杉晋作の指示により助け出されます。

 

 

 

福岡に「野村望東尼」という志士をかくまい

志士の母と慕われた女性がいた事は知っていました。

高杉晋作だけでなく 沢山の志士たちが平尾山荘で過ごしたそうです。

 

福岡藩の武士の家に生まれ 武士の家に嫁いだ女性が

どういういきさつで 志士達とつながりが生まれたのか、

不思議に思っていました。

生まれた時から才気煥発な女性だったのだろうか、

兄弟や回りに志士が居て影響を受けたのか、

どういう思いが彼女の中にあったのか、

いつか知りたいと思っていました。

 

彼女の生きる理由と人生の目的。

野村望東尼と名乗る前の彼女が

乗り換えて来たもの。

 

この本に答えを貰った思いがしています。

 

辛さ、心も亡くすような不幸な辛さを

乗り越えて 包み込むような包容力を身につけ

和歌で志士の志(ココロザシ)を鼓舞した。

 

 

あの激動の時 男性が政治の中心だった。

著者の言う志(ココロザシ)を持つ人は沢山いたはず。

その中で著者は「野村望東尼」を選び書いてくれた。

実は本書に書かれた5人のサムライの

「野村望東尼」だけを読んでこれを書いています。

 

 

 

年齢を重ねてきて思うことは、

今自分に何が出来るだろか、という事。

「志士を匿う」は ないにしろ

背中を見せることは出来る。

 

学び、楽しみ、働く、日々を丁寧暮らす。

生まれたら、死にむかう毎日だけれど

人生の最後の方は結構楽しそうだと思って貰えるように なりたい。