自分の気持ちに正直に。

そんなシンプルな事が解らなくなったのはいつからなんだろう?

赤ちゃんの時は出来ていた。

親の気持ちも考えず、泣きたいときに泣いて

笑いたいときに笑い怒りたいときに怒る。

私が死産したときそれは自然にできていただろうか?

自分で作り上げた、常識や、概念、道徳。

そんな事に縛られて大切な心は蔑ろに。

当たり前なんだと言い聞かせて。

沢山の言葉に惑わされて

許可してあげられなかった感情たち。

心の奥底にしまいこんだ。

それは無かったかのように

聞いてあげなくてごめんね。

許してあげなくてごめんね。

本当はあの時泣き崩れたかったよね。

本当は手放したくなかったよね。

母親になったんだから

迷惑かけないように

悲しませないよに

看護師さんを困らせないように

悲しませないように   悲しませないように

世間で言う常識的な態度をとり。

それじゃロボット同じじゃないか?

大人なは駄々をこねないし

大人は人を悲しませない

聞き分けのいいふりおして事を丸くおさめて

なるべく迷惑はかけずに

ホントは

気がすむまで抱き締めたかった。

離したくなんかなかった

ずっとそばに居たかった

母さんって呼んで欲しかった

手を握って欲しかった

目を開けて欲しかった

愛してるて言って欲しかった

いっぱいいっぱい抱き締めたかった

常識だとか、そんなもの置いといて気がすむまで抱き締めたらもっと簡単にてばなせたのかも知れない。

今の常識からすると只のクレイジーな死産したママになるのだけだけど。

現実的な事じゃなくても願望を口にすることはできた。

常識じゃ考えられないことが起こったんだから
常識の範囲で解決できる事じゃない

常識で考えられる感情で抑えられる事でもない

常識で納められないことが目の前で繰り広げられて

だけど、常識の範囲内で納めようとする。

納められるはずはない。

常識ってなんだい?

それは真実なのだろうか?

心を壊したお母さんが沢山いると言うことは真実だ

それでも常識に従うと言うのならロボットになると言うことと同じ事じゃないか?

要は、自分の心に従わなかったから心が壊れたよってことが言いたかっただけなんだけど。

だから、これからは、私は私の見方になるよ!

例え誰かに避難されようとも私だけは私の見方

心で思うことすら許してあげられなかった自分は今日で終わりにして、どんな自分もオッケーてこと。

とってもシンプルな自分に戻るだけ。