CUBA | sincerelyun

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この夏、キューバに行きました。革命、社会主義国、チェ・ゲバラ、フィデル・カストロ、アメリカの経済封鎖、物不足の国。ネットでどれだけ調べても、映画を見ても、実際キューバがどんな国なのか、キューバの人達がどんな生活をしてるのか見えてこなかった。だからどうしても行ってみたかった国。今まで行った国とはあまりにも違いすぎて、思うことが沢山あった。まだまだ知らないこと、見てないものは沢山あるけど、一週間わたしがこの目で見て感じたことを書きました。長いけど、読んで頂けたらすごく嬉しいです。


メキシコからキューバの航空会社で、キューバの首都ハバナに行きました。笑っちゃうくらいオンボロな旧ソ連の飛行機で、着いた空港は小さくて静かで薄暗い。アメリカ人がキューバに入る事はアメリカの法律で禁止されてるからか、パスポートに入国のハンコは押されなかった。アメリカ人の旅人もたくさん居た。タクシーからは壁にVIVA LA REVOLUCION (革命万歳) とか、ゲバラやカストロの顔だったり、革命を讃えるプロパガンダがいっぱい見えた。


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街に出てみると、建物は全部ボロボロで今にも崩れそう。道はボコボコで犬のウンチだらけ、ハエだらけ。ゴミはみんな道にポイ。車はアメ車が当たり前に沢山ビュンビュン走ってる。革命後のアメリカとの経済封鎖から、建物だったり車だったり何でも革命当時、50年前のまま。新しいものが入ってこないから、今あるものを修理してまた使うしかないみたい。街ではそこらじゅうから楽しい音楽が聞こえてきて、道には家の前で座ってる人、バルコニーからボーっと下を見てる人、日陰で友達と話してる人、遊んでる子供、みんな平日の昼間っからのーんびりしてた。歩いているとみんなが話しかけてくる、何もかもにびっくりだった。


キューバ人と旅行者はお金の通貨が違くて、街のレストランとかは全部旅行者用。だいたいレストランで一回食事をして20CUC(約2000円)、それに対してキューバ人の月給は10CUC(約1000円)。パン、お米、お豆、コーヒー、石鹸1ことか、生活用品を毎月配給されるけど、それっぽっちのお金と配給じゃ足りるわけなくて。でもなにか自分で商売したくてもそれにはお金が要るし、利益を出すのは難しい。キューバでお金儲けするのは不可能。お金持ちになるには、他の国に移住した親戚にお金を送ってもらうしかないんだって。他国に行くには外国人と結婚するか、外国人に招待状をもらうか、一番近いマイアミに船で逃げるしかない。社会主義国キューバでは、働いたって働いたって生活は変わらない。でも働かなくても毎日パン1個は配給でもらえちゃうから、死にはしない。ガリガリで物乞いをしてる人はキューバでは見なかった。だったら真面目に働かなくたっていいやってなるよね、無気力になるのは仕方ない。だからみんな道でボーッとしてたんだろうなぁ。


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キューバの建物はいつ崩れてもおかしくない。家が崩れて人が怪我をしても、死んでも、政府は知らんぷり。崩れたら仮設住宅みたいな小さな家に大勢が住む事になる。キューバで一番給料がいい職業は警察官らしくて、街には警官がそこらじゅうに居て、ずーっと国民を見張ってた。スパイなんて日常茶飯事だって。


キューバは医療も教育も無料。世界において最も報道の自由の無い国の7位。テレビは国営放送4チャンネルしかなくて、インターネットももちろん出来ない。でも日本の地震津波放射能のことはみんな知ってて、パパママ大丈夫だった?って聞いてくれる人も居た。きっと自分の国に都合の悪いことだけは報道しないんだろうな。キューバは治安がいいって言う。確かに治安は良かったけど、事件が起こっていたとしても報道されないから、みんな何かあっても噂でしか知ることができない。都合の悪い事は全部政府にもみ消されちゃう。


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街をひとりで歩いてると、みんな話しかけてきた。街を案内してあげる!とか、僕サルサの先生なんだよ(みんなそう言う)サルサ教えてあげるから夜ディスコに行こう!ってゆうニイチャン。子供のミルクを買いたいから金くれってゆうピチピチギャル(典型的な詐欺)。ネエチャンカワイイネェーって言って小さなお花をくれるおじいちゃん。誰でも信用しちゃいけないって分かってるけど、誰も信じないなんて悲しい。優しい人かもしれないって信じたいから、疑いながらも色んな人についていった。


本当に道案内してくれた人も居たし、ある男は、津波大丈夫だった?って話しかけてきて、何時間もハバナの色んな素敵な場所を案内してくれて、遠いビーチにも連れて行ってくれた。そしたらデジカメとお金盗まれて、ビーチで一人置き去り!もう小銭しか残ってなくて、ぎゅうぎゅう詰めの安い市バスで半ベソでひとり街まで戻ったり。無事ちゃんと帰ってこれて、運が良かった。


放心状態でヒザに砂つけたまま歩いてたら、またすごい黒いおじちゃんが、嘘くさいくらいのとびきりの笑顔で「キューバにようこそ!」って話しかけてきた。また騙されると思って適当にかわして逃げたけど、数十分後にまたそのおじちゃんと違う場所で遭遇。。仕方なく話してたら、実は彼は心からキューバにようこそ!って言ってくれてた事が分かった。本当に優しい大きな人で、あっという間に仲良くなった。おじちゃんは同僚のフランシスコも連れてきて、次の日ふたりは仕事をすっぽかして、丸一日街のいろんな素敵なところに連れて行ってくれた。現地の人と仲良くなると、ホテルに泊まって観光してるだけでは分からない、酷なキューバの現実が見えてくる。


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英語が上手なフランシスコとはいっぱい色んな話をした。彼は家族4人で小さなアパートに住んでて、一緒に住んでないけど子供も2人居る。彼は子供と家族のためにも、外国に行ってお金を稼ぎたいって言ってた。国に対しての不満、外国への憧れを話し出すと止まらない。何をしても貧乏なまま、毎日が同じ、何も変わらない。せめて子供のために…って話しだすと、涙を堪えられなくなってた。慰める言葉も出なくて、一緒に泣くことしかできなかった。何もしてあげられないし、彼も私にどうにかしてもらいたいなんて思ってない。 ただただやるせなかった。キューバは貧乏でもみんな明るくて陽気なイメージを勝手に持ってたけど、こんな側面があったなんて。全然知らなかった。


でも彼は沢山のことを教えてくれた。たった一度の人生、前向きに楽しく生きること。強くなること。たったひとりの家族、友達、恋人を大切にすること。困ってる人がいたら助けること。神様は見てるから、いいことをすればちゃんと自分に返ってくるよって、Bob MarleyのDon't worry, Be happyを何度も聞かせてくれた。たまに家でひとりで泣いちゃうって言ってた。けど外ではいつも明るく、笑って、みんなに声をかけてた。


彼を通して、キューバ人のいいところを沢山見ることができた。共産主義だからか、競争心が全然なくて、みんな助け合う。困ってる人が居たら助ける。困っていたら助けてもらう。キューバではそれが当たり前だった。一度助けたり助けてもらうともう友達になるみたいで、道を歩いてるとどの道にも友達が居て、ブラザー!ブラザー!ラブユー!ってお互い声を掛け合ってた。


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キューバに着いた日、泊まる家が見つからなくて大荷物で道に迷ってたら、どんどんわたしの周りに人が集まってきて。みんなで地図を覗き込んで、一緒に家を探してくれた。おばあさんはうちにおいでって言ってくれるし、おじさんは家を探してる間、荷物を預かってくれた。みんなすごく優しくて、知ってる英語とゆっくりのスペイン語で助けてくれた。貧乏で、自由がなくて、不満で一杯で、でも何も言えなくて。想像した以上に辛い生活をしていたけど、そんな事わたし達に気付かせない程、みんな明るかった。前向きに生きなきゃやってられないのかもしれないけど、あざとさも計算もない、見返りを求めない無償の優しさ、助け合ってる姿に感動した。元気をもらった。


日本はどうなんだろう。これからどうなるんだろう。沢山考えさせられた。トラブルだらけで大変な旅だったけど、数えきれないくらい何度も何度も心があったかくなった。沢山の人に助けられて、優しくしてもらって、知らなかったことを知って、本当にうれしかった。また人が好きになった。


どんな優しさだっていいんだと思った。ふいに出た無意識の優しさでも、おせっかいじゃないかなぁって葛藤しながら勇気をふりしぼった優しさでも、優しくされた人は、なんだってうれしいよ。


おセンチになった時は、キューバで会った人達を思い出そうと思う。優しくしてくれてありがとう。色々気づかせてくれてありがとう。人間らしいキューバの人達が大好き。この旅での経験をこれからどう生かせるのか、まだ分からないけど、いっぱい考えたい。本当に行ってよかった。キューバという国の事、少し知ってもらえたら嬉しいです。


お金や物や立派な家は無くても、彼らの陽気さや、ふいに出ちゃう温かい優しさ、家族への大きな愛は、人生の本当の喜びだということ、気付いてくれていることを祈ります。


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