I’M ON MY WAY~翔子郎と理恵の世界旅行記~ -24ページ目

I’M ON MY WAY~翔子郎と理恵の世界旅行記~

                 

ベトナム戦争証跡博物館

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実際に使われていた戦車、戦闘機。



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ベトナム戦争


一言で言うと、ベトナムの植民地からの独立戦争と言っていいと思いますが、実際は幾つもの戦争の集まりです。この戦争を理解するために、少し歴史をさかのぼる必要があります。

最初フランスの植民地であったベトナムに、日本が進駐占領しました。その後、日本が戦争で敗れ、フランスが再び植民地化を図りました。これに対しベトナムが独立を宣言し戦争が始まります。

この戦争でフランスは多くの部隊を送り込むが、中国共産党やソ連の支援を受けたベトナムの粘り強い抵抗にあい、フランスはベトナムから撤退します。これが第一次インドシナ紛争です。

その後、フランスを支援していた米国が、共産主義国家の増加に危機感を抱き、ベトナムを南北に分割するという政治的介入を行います。北ベトナムはソ連を後ろ盾にした共産国家。
資本家や民主主義者はことごとく追放、反体制派は存在することすら許されない、それが北ベトナムでした。

それに対し南ベトナムはアメリカを後ろ盾にした民主国家。

北側が統一を主張し、米国がいずれ選挙によって統一しようということで合意しましたが、合意は実行されず、北の軍事行動が少しずつ始まります。米国はこれを防ぐため、韓国などの西側陣営に協力を要請し多国籍軍によって南ベトナムの治安回復を支援するようになったのです。
一般にベトナム戦争というのは、米国が軍事介入した時期のものを指します。

ソ連の支援を受けた北側の攻撃に手を焼く米軍。そのうち、米国内などで反戦運動が激化し、1973年米軍は他の国と共にベトナムから撤退。

その後南ベトナム軍が独自に戦闘を続けていましたが、弱体で士気が低く、南ベトナムは悲鳴を上げてアメリカに救いを求めましたが、もはや世界はベトナムを見捨ててしまう。

米側が動かないことを確認した北ベトナムは武力侵攻を決意。米軍撤退の2年後、南ベトナムは北ベトナムに武力併合され、200万人以上の民衆が迫害、追放、内30万近い人々が虐殺されました。

最初、植民地からの独立戦争であったものが国土の分断、その後統一戦争となり、代理戦争と変化していったのがベトナム戦争です。


博物館には枯葉剤を製造した会社との裁判についても紹介されていました。枯葉剤の被害を受けたのは、ベトナム人だけでなく米軍や韓国軍にもいます。

アメリカで行われた裁判内容は、枯葉剤による人体被害を会社側に認めさせることです。この裁判で被害者は勝訴しました。

しかし、ベトナム人が起こした枯葉剤の裁判では、何故か敗訴判決がでたらしいです。

アメリカという先進国でさえ、法の下の平等はない。 


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博物館内では数々の悲惨な写真が展示されていました。


一気に暗く重いものがのしかかってきます。


世界には色んな人種がいてそれぞれ皆、環境が違えば、ものの考え方なんてひとりひとり違う。


ぶつかる事も多々あると思う。


だからって武力でつぶしあって、殺し合い、何の関係もない人々の血が無残に流れる。


生まれてから死ぬまでそんな地獄だけを見続けて亡くなっていった子供たちも山ほどいる。


本当に戦争というのは憎いもの。


世界平和というものがどれだけ尊く、最も大切であるかを学び、それをこれからもずっと繋げていく。


絶対に同じ過ちを繰り返してはいけない。


リエ



今日ものぞきに来てくれてありがとうございます(*^▽^*)
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