今日、3.11です。


2011年の今日、14:46に東日本大震災が起きました。


私は友人宅で被災しました。


千葉の埋立地、新浦安は液状化現象が酷くて。


一晩泊めて貰って、翌朝 京葉線新浦安ではなく、東西線浦安駅まで送って貰いました。


マンホールが地上に1メートルも突き上げていたり、地面が波打っていたり、


マンションの敷地も水浸しだったり、公立学校の校門も傾いていたり。



駅前も送迎の車や配達のトラックで凄い渋滞。


電車もこんなに鮨詰めの混雑は久しぶり!ってくらい、混雑していて。



自宅は殆ど被害が無くて。


メールは中々届かなかったな。


それを思い出す1日でもあります。


同時に、地震で天井が落ちてきて下敷きになって亡くなった、友人を思い出す1日でもあります。



その友人のアドレスを中々消すことができなかった。


個性的で、親切で、面白い専門学校の先生で、劇団員もしていて。



葬式はしない、ロックを流して友達に見送ってもらいたい。


そんなカッコイイ女性でした。


色彩ボランティアの仲間でした。



忘れたくないから、ここに書き残しておきます。


救急車で運ばれている時も、丁寧な言葉遣いで、喚くこと無く痛い所を伝えたり、呼吸が苦しくても丁寧に伝えていたと。


救急車に乗った同僚の先生から聞かせて貰った。


あー、私の知ってる友人らしいなぁ。


そんな時くらい喚いたっていいのに。


でも、だからこそ、貴女なんだよね。


そんなことを思ったり。



その友人の記憶も少しずつ薄れてきている。


自分自身の人生が余りにも濃密で、波瀾万丈過ぎて、どんどん濃いモノが上に乗っていくからかな?


ゆっくりと友人を思い出せる今日くらい、記憶を留めて置きたくなったんです。


どんなお悔やみも、何の価値も無くて。


そんな無常を体験した13年前の1日でしたね。


私からも伝えられる言葉なんて無かったな。


友達からのお悔やみも、心を寄せてくれた言葉でも虚無感があったな。



父の闘病の後の死とは余りにも違うから、無常を感じたのかな。



三界無安 猶如火宅🙏



能登も、熊本も、東北も、北海道も。

早く生活が落ち着いたり、環境が整ったり、少しでも前を向いて歩けるように。



1日も早い普通の毎日が戻ることを祈念して。



三界無安 猶如火宅
これは、お釈迦様が護って導いてくれるから安心して
と言う意味の言葉です。
道に迷うこと無く、あの世に辿り着けるように、私が祈念する時に必ず呟く言葉です。

それでは最後までお読みいただきありがとうございました。