偉大なる頭脳
「これって、超能力?」
先日、父の友人のAさんについてお店で話していました。少し前に暑中見舞いを頂いていたのがきっかけでしょうが、その日はさしたる前触れもなくAさんの話題に花が咲いたのです。Aさんは父よりも10歳年上の男性で埼玉県飯能に住んでいます。ここ数年は手紙のやり取りだけで会っていませんでした。「元気かな」とか「今度の連休に会いに行こうかな」とかその日はしばらくAさんの話題で持ちきりでした。
話題がひと段落ついて一時間後、そのAさんがお店にヒョッコリ現れたのです。
Aさん「やあ、どうもどうも」
3人「!!?」
もうお店で家族3人驚きっぱなし。だってついさっきまでAさんの話をしていたのですよ。「会いたいね」って言っていた人物が間髪いれずに会いにきてくれたのですよ。そりゃ驚きますよ。多分Aさん、こんなに驚かれるとは思っていなかったに違いありません。だってね・・・。
こういった経験はこの一点だけではありません。最近お見かけしないお客さんの事を話していたら、その日のうちに現れたとか、そういう経験は結構あるものです。
でも、もしかしたらそれって普通の能力なのではないでしょうか。人間って本当はもっと「勘」の力があるのだと思うのです。何故なら昔から「虫の知らせ」とか「予知」の話は数多ありますし、何よりこういった経験は忘れているだけで誰もが経験しているでしょう。
ちょっと話が逸れますが、よくテレビ番組で動物の習性なんかを特集していると好きで観るのですね。野性の動物たちは捕食する方も捕食される方も、追ったり逃げたりするのに数キロはなれた場所の気配を敏感に感じているというではないですか。何かが近づいた時にその空気の動きとか、熱とか、色々な事を感じる力というのは、動物なら持っている普通の能力なのです。
しかし人間社会は言語コミュニケーションの発達や社会の形成において、そういった「感じる力」を忘れてしまったのではないでしょうか。だから少し「感じる力」が敏感な、やや動物的な勘を持った人間を特殊能力のように思ってしまうのでしょう。
でもこういった小さなところで、その能力が実は発揮されている事に気付くのです。これはきっと超能力ではなくて、人間が動物である証拠なのでしょう。データばかりが真実ではありませんね。
かくして人間の「偉大なる頭脳」よりも「普通なる勘」の素晴しさに気づかされた私。ああ人間って面白いな。
あ、そうなると夢に昔好きだった人が出てくる事あるけど、それって相手も同じようにボクの事想いだしているのかな…?。
…ハイ、それは妄想ですね。
先日、父の友人のAさんについてお店で話していました。少し前に暑中見舞いを頂いていたのがきっかけでしょうが、その日はさしたる前触れもなくAさんの話題に花が咲いたのです。Aさんは父よりも10歳年上の男性で埼玉県飯能に住んでいます。ここ数年は手紙のやり取りだけで会っていませんでした。「元気かな」とか「今度の連休に会いに行こうかな」とかその日はしばらくAさんの話題で持ちきりでした。
話題がひと段落ついて一時間後、そのAさんがお店にヒョッコリ現れたのです。
Aさん「やあ、どうもどうも」
3人「!!?」
もうお店で家族3人驚きっぱなし。だってついさっきまでAさんの話をしていたのですよ。「会いたいね」って言っていた人物が間髪いれずに会いにきてくれたのですよ。そりゃ驚きますよ。多分Aさん、こんなに驚かれるとは思っていなかったに違いありません。だってね・・・。
こういった経験はこの一点だけではありません。最近お見かけしないお客さんの事を話していたら、その日のうちに現れたとか、そういう経験は結構あるものです。
でも、もしかしたらそれって普通の能力なのではないでしょうか。人間って本当はもっと「勘」の力があるのだと思うのです。何故なら昔から「虫の知らせ」とか「予知」の話は数多ありますし、何よりこういった経験は忘れているだけで誰もが経験しているでしょう。
ちょっと話が逸れますが、よくテレビ番組で動物の習性なんかを特集していると好きで観るのですね。野性の動物たちは捕食する方も捕食される方も、追ったり逃げたりするのに数キロはなれた場所の気配を敏感に感じているというではないですか。何かが近づいた時にその空気の動きとか、熱とか、色々な事を感じる力というのは、動物なら持っている普通の能力なのです。
しかし人間社会は言語コミュニケーションの発達や社会の形成において、そういった「感じる力」を忘れてしまったのではないでしょうか。だから少し「感じる力」が敏感な、やや動物的な勘を持った人間を特殊能力のように思ってしまうのでしょう。
でもこういった小さなところで、その能力が実は発揮されている事に気付くのです。これはきっと超能力ではなくて、人間が動物である証拠なのでしょう。データばかりが真実ではありませんね。
かくして人間の「偉大なる頭脳」よりも「普通なる勘」の素晴しさに気づかされた私。ああ人間って面白いな。
あ、そうなると夢に昔好きだった人が出てくる事あるけど、それって相手も同じようにボクの事想いだしているのかな…?。
…ハイ、それは妄想ですね。
子供たちどうも
商店街の中で商売をしていると、多くの子供たちと出会います。生まれたばかりの赤ちゃん、元気な男の子、そして女の子の中にはちょっとおませな子もいます。お父さん、お母さんに連れられてお店に来る事が殆どですが、小学生くらいになると1人でお使いに来れるようになったり、成長の足跡も垣間見れます。本当に子供たちにはお店の中から楽しませてもらっています。
ある日の夕方、お母さんと一緒に3~4歳くらいの男の子が来店しました。夕食で食べるおかずを買いに来たのですが、お子さんはどうしても「お弁当」が食べたいみたいで、しきりにお弁当が並ぶワゴンを指差して「お弁当がいい~」と言っていました。お母さんは「ゴハン炊いて
あるんだからお弁当じゃなくていいの」となだめながら惣菜を選んでいました。それでもお子さんは一度決めた事は曲げたくない様子で「オベントウ!」「おべんとう!」と繰り返していました。そしてこう言いました。
「お弁当がいいの。だって“こんなに残っているんだよ”」
そこにいた私を含む大人は、一応にずっこけました。いやいや、残っているんじゃなくて並べてあるんだよ。
でも私はふと気づいた事があるのです。私たち大人はワゴンに並べてあるお弁当は「陳列」しているのであって「残って」いるのではない事を知っています。しかし子供は生まれて3~4年で覚えた少ないボキャブラリーの中で、今そこにある状況を必死に説明しようとしていたのです。おそらく「こんなに色々あって選べるのに」という事を言いたかったところを「こんなに残っているのに」という言葉で表現したのだと思ったのです。
大人になると経験を重ねた結果、この場合はこの表現は使わない方が良い、という判断をしてしまいます。子供にはその選択肢が無い分、時に予想を超えた表現が出るのです。そのズレを楽しめるのが大人の特権であると同時に、その「ズレ」を作り出せない寂しさも感じました。
そんな子供たちもいつか「残っている」のと「並べている」の違いを知って、それを使い分けられるようになるでしょう。この無垢で独特な発想力というのは、たった十数年の子供時代の特権かもしれません。
それを考えたら、やっぱり少しだけ寂しい気持ちになります。ああ、ボクも随分大人になったんだなぁ・・・てね。でもそう思えるのは、大人の特権とも言えるし、果たしてどちらがよいのやら。
でも、まぁ、とりあえず「子供たちどうも」
ある日の夕方、お母さんと一緒に3~4歳くらいの男の子が来店しました。夕食で食べるおかずを買いに来たのですが、お子さんはどうしても「お弁当」が食べたいみたいで、しきりにお弁当が並ぶワゴンを指差して「お弁当がいい~」と言っていました。お母さんは「ゴハン炊いて
あるんだからお弁当じゃなくていいの」となだめながら惣菜を選んでいました。それでもお子さんは一度決めた事は曲げたくない様子で「オベントウ!」「おべんとう!」と繰り返していました。そしてこう言いました。
「お弁当がいいの。だって“こんなに残っているんだよ”」
そこにいた私を含む大人は、一応にずっこけました。いやいや、残っているんじゃなくて並べてあるんだよ。
でも私はふと気づいた事があるのです。私たち大人はワゴンに並べてあるお弁当は「陳列」しているのであって「残って」いるのではない事を知っています。しかし子供は生まれて3~4年で覚えた少ないボキャブラリーの中で、今そこにある状況を必死に説明しようとしていたのです。おそらく「こんなに色々あって選べるのに」という事を言いたかったところを「こんなに残っているのに」という言葉で表現したのだと思ったのです。
大人になると経験を重ねた結果、この場合はこの表現は使わない方が良い、という判断をしてしまいます。子供にはその選択肢が無い分、時に予想を超えた表現が出るのです。そのズレを楽しめるのが大人の特権であると同時に、その「ズレ」を作り出せない寂しさも感じました。
そんな子供たちもいつか「残っている」のと「並べている」の違いを知って、それを使い分けられるようになるでしょう。この無垢で独特な発想力というのは、たった十数年の子供時代の特権かもしれません。
それを考えたら、やっぱり少しだけ寂しい気持ちになります。ああ、ボクも随分大人になったんだなぁ・・・てね。でもそう思えるのは、大人の特権とも言えるし、果たしてどちらがよいのやら。
でも、まぁ、とりあえず「子供たちどうも」
