弟の結婚式
6月9日(Rockの日)弟の結婚式に出席した。
わが弟が結婚式というめちゃくちゃベタな事をやる、と聞かされたのは一年前。昨年のうちに入籍を済ませていた弟は6月9日の挙式に向けてここ数か月準備に勤しんでいたという。
僕は「結婚式はしない」と思って生きてきたし、妻と入籍する際も親せき回り位をしただけで、特に大きなセレモニーは開催しなかった。それで満足だったし、特に後悔もしていない。
弟の挙式だが、人前式という事でメトロポリタンホテルのチャペルを使い行われたのだが、後日談として「緊張しすぎ」たせいで最初から笑いを取る方面に作用してしまったとの事。結果的に何だかグズグズ感はあるのだけど、お調子者の、僕が知っている弟らしい、丸みのある結婚式~披露宴になったと思う。
結婚式というのは新郎新婦の背景が良く見える。多くの友達や親せきが集まり、主賓を盛り上げる感覚というのは、こういう席でも無いとつまびらかに見る事は無い。新郎と新婦を中心にした友人知人の広がりを席次表を眺めながら思った。それはまるで人生そのもののようにも見える。
ところで僕は半分くらい冷やかし位のつもりで参加したのだが、思いの外楽しく、そして会が終わりゆく事を非常に寂しく受け止めた。高々弟の結婚式でこのような気持ちになるのはどうしてだろう。今日はずっとそれを考えていた。そしてハッとした。そう、僕は弟の結婚式を通じて自分の人生の距離と現在位置を確認していたのだ。
セレモニーには色々なものがある。
毎年一年に一回行われるもの。所謂「祭」。正月やクリスマス、夏祭りなどがそれにあたる。毎年その日、その時期に向けて、もしくはその時期を基準にして準備し、生活をする。祭りのあとの寂しさは、また来年という目標の元に収められ、以降の生活の活力として存在感を示す。
今回の結婚式はそれには当たらず、冠婚葬祭というのは一生のうちにほんの数回行われるものである。学校の入学、卒業もそれらにあたる。これはつまりある年齢、ある状況に置かれる事で、自分史の立ち位置を知る事になる。そしてそれらのイベントが終わっていく事を知る。だから多くの人は感情に深入りしやすく、泣く。良く言われるような「経験があるから」泣くのではなく、自分の立ち位置を知り自分史の中で「終わっていく事」を知るから泣くのだ。
今回は自分史の中の「弟の結婚式」が終了してしまった。一年前から言われてきた式が終わってしまったのだ。長いと思っていた1年が終わっていき、多くの人が集う楽しいイベントが終わっていく。だから悲しい。
セレモニーはそういう事に気付く為のものである事に遅ればせながら気付いた。
結婚式には形式がある。これは内田樹の受け売りではあるが、事の型というものを大事にする事がこれからの地域には必要なのだと思う。その為のセレモニー
ベタな型を演じつ事も、そういった本質に辿り着くための一つの単純化の作業なのかもしれないと、曲論的ではあるがそう思った。セレモニーはそういう事に気付くチャンスなのだ。
そんなセレモニーは終わり、弟は今日一日清算や後始末に追われていたようだ。おそらく昨日の盛り上がりを胸に、一抹の寂しさを従えて、それでも雑務という型の中で相殺していった事だろう。
そして普通の生活がまた始まるのだね。普通の生活はどこまで行っても繰り返し。実際は同じでは無いが、結果的に繰り返しているような感覚になる。それが普通というものであり、「気付き」から遠のく時間でもある。結婚式に出席する事で、そんな事をうだうだ考えていた。スッキリに少し近づいたと思う。
わが弟が結婚式というめちゃくちゃベタな事をやる、と聞かされたのは一年前。昨年のうちに入籍を済ませていた弟は6月9日の挙式に向けてここ数か月準備に勤しんでいたという。
僕は「結婚式はしない」と思って生きてきたし、妻と入籍する際も親せき回り位をしただけで、特に大きなセレモニーは開催しなかった。それで満足だったし、特に後悔もしていない。
弟の挙式だが、人前式という事でメトロポリタンホテルのチャペルを使い行われたのだが、後日談として「緊張しすぎ」たせいで最初から笑いを取る方面に作用してしまったとの事。結果的に何だかグズグズ感はあるのだけど、お調子者の、僕が知っている弟らしい、丸みのある結婚式~披露宴になったと思う。
結婚式というのは新郎新婦の背景が良く見える。多くの友達や親せきが集まり、主賓を盛り上げる感覚というのは、こういう席でも無いとつまびらかに見る事は無い。新郎と新婦を中心にした友人知人の広がりを席次表を眺めながら思った。それはまるで人生そのもののようにも見える。
ところで僕は半分くらい冷やかし位のつもりで参加したのだが、思いの外楽しく、そして会が終わりゆく事を非常に寂しく受け止めた。高々弟の結婚式でこのような気持ちになるのはどうしてだろう。今日はずっとそれを考えていた。そしてハッとした。そう、僕は弟の結婚式を通じて自分の人生の距離と現在位置を確認していたのだ。
セレモニーには色々なものがある。
毎年一年に一回行われるもの。所謂「祭」。正月やクリスマス、夏祭りなどがそれにあたる。毎年その日、その時期に向けて、もしくはその時期を基準にして準備し、生活をする。祭りのあとの寂しさは、また来年という目標の元に収められ、以降の生活の活力として存在感を示す。
今回の結婚式はそれには当たらず、冠婚葬祭というのは一生のうちにほんの数回行われるものである。学校の入学、卒業もそれらにあたる。これはつまりある年齢、ある状況に置かれる事で、自分史の立ち位置を知る事になる。そしてそれらのイベントが終わっていく事を知る。だから多くの人は感情に深入りしやすく、泣く。良く言われるような「経験があるから」泣くのではなく、自分の立ち位置を知り自分史の中で「終わっていく事」を知るから泣くのだ。
今回は自分史の中の「弟の結婚式」が終了してしまった。一年前から言われてきた式が終わってしまったのだ。長いと思っていた1年が終わっていき、多くの人が集う楽しいイベントが終わっていく。だから悲しい。
セレモニーはそういう事に気付く為のものである事に遅ればせながら気付いた。
結婚式には形式がある。これは内田樹の受け売りではあるが、事の型というものを大事にする事がこれからの地域には必要なのだと思う。その為のセレモニー
ベタな型を演じつ事も、そういった本質に辿り着くための一つの単純化の作業なのかもしれないと、曲論的ではあるがそう思った。セレモニーはそういう事に気付くチャンスなのだ。
そんなセレモニーは終わり、弟は今日一日清算や後始末に追われていたようだ。おそらく昨日の盛り上がりを胸に、一抹の寂しさを従えて、それでも雑務という型の中で相殺していった事だろう。
そして普通の生活がまた始まるのだね。普通の生活はどこまで行っても繰り返し。実際は同じでは無いが、結果的に繰り返しているような感覚になる。それが普通というものであり、「気付き」から遠のく時間でもある。結婚式に出席する事で、そんな事をうだうだ考えていた。スッキリに少し近づいたと思う。
お誕生日とSNS
昨日は僕の33回目の誕生日でした。
おめでとうおいら。
今回の誕生日は今までと明らかに違った。それはSNSを通じて疎遠だった人からSNSを通じて「おめでとう」と言ってくれた事だ。それまでは半径数メートルの人たちからしか言われなかった誕生日の「おめでとう」は、SNSが登録情報から丁寧に皆さんに告知してくれるからに他ない訳で。
SNSの良し悪しは色々議論されるところなんだけど、僕は素直に良いことだと思う。SNSの登場で人との繋がり方が変わったという事で、変わった後の世界が今という事だ。
小沢健二は川勝正幸の追悼番組の中で、今の世の中を「サングラスを外した世界」と批評した。サングラスとはその人の知識や活動であって、その向こう側が人間そのもの、まあプライベートという事か。確かにそんな事つぶやかなくてもいいんじゃない、というものもあるだろうし僕も発しているだろう。世の中はダダモレ。
でもおそらくホンモノは最後のサングラスは外さない。多分そうだと思うし、そういうものでありたい。
いずれにせよ、SNSによって誕生日の共有をするという事が始まっておるわけだ。
でもSNSだけじゃなくて、東長崎のBAR魂では飲み仲間たちにお祝いしてもらった。みなさん本当にありがとう!
リアルとネットをどのように泳いで行き来するか、そのセンスが問われるのがこれからなのだと思う。だからこれからもネットにも現実にも真剣かつ楽しく関わろうと思った33歳でござんす。
おめでとうおいら。
今回の誕生日は今までと明らかに違った。それはSNSを通じて疎遠だった人からSNSを通じて「おめでとう」と言ってくれた事だ。それまでは半径数メートルの人たちからしか言われなかった誕生日の「おめでとう」は、SNSが登録情報から丁寧に皆さんに告知してくれるからに他ない訳で。
SNSの良し悪しは色々議論されるところなんだけど、僕は素直に良いことだと思う。SNSの登場で人との繋がり方が変わったという事で、変わった後の世界が今という事だ。
小沢健二は川勝正幸の追悼番組の中で、今の世の中を「サングラスを外した世界」と批評した。サングラスとはその人の知識や活動であって、その向こう側が人間そのもの、まあプライベートという事か。確かにそんな事つぶやかなくてもいいんじゃない、というものもあるだろうし僕も発しているだろう。世の中はダダモレ。
でもおそらくホンモノは最後のサングラスは外さない。多分そうだと思うし、そういうものでありたい。
いずれにせよ、SNSによって誕生日の共有をするという事が始まっておるわけだ。
でもSNSだけじゃなくて、東長崎のBAR魂では飲み仲間たちにお祝いしてもらった。みなさん本当にありがとう!
リアルとネットをどのように泳いで行き来するか、そのセンスが問われるのがこれからなのだと思う。だからこれからもネットにも現実にも真剣かつ楽しく関わろうと思った33歳でござんす。
竹宮30年Live@東長崎「BAR魂~soul」 《竹宮30年、愛を歌う》
さて今週末は私と盟友・宮川直巳との音楽ユニット「竹宮30年」のライブですよ。
な、なんと、当日はサッカー日本代表の試合とバッティング!
さ、サッカーには負けないぞ!
「サッカーなんて、○○喰らえじゃぁ~!!」というひねくれ・・・いや音楽好きの方は是非お越しください!
毎回、竹宮30年はテーマを決めて選曲演奏しています。
今回のテーマは「オリジナル棚卸」と、もうひとつが「竹宮30年、愛を歌う」なのであります。
愛をテーマにした新旧日本の名曲をメドレーにしてお送ります!
共演はJ-pop中心としたカバーを演奏するギター&歌のデュオ、Dan&Kumi(ダンクミ)。Kumiちゃんの透き通るボーカルと、Danさんの超絶テクと奇を衒わない的確なギターアレンジは必見であります。本当に!
そんな訳で、世間がサッカーに燃えている最中、あえて音楽を聴こうという若干M気のあるあなた!あなたですよ!
東長崎においでなさい!そしてBAR魂で音楽を楽しむのです!
《竹宮30年 、愛を歌う》
6月3日(日) 20:00~
東長崎 BAR魂~Soul~ http://www016.upp.so-net.ne.jp/soul-tamashii/
出演 Dan&Kumi 竹宮30年
な、なんと、当日はサッカー日本代表の試合とバッティング!
さ、サッカーには負けないぞ!
「サッカーなんて、○○喰らえじゃぁ~!!」というひねくれ・・・いや音楽好きの方は是非お越しください!
毎回、竹宮30年はテーマを決めて選曲演奏しています。
今回のテーマは「オリジナル棚卸」と、もうひとつが「竹宮30年、愛を歌う」なのであります。
愛をテーマにした新旧日本の名曲をメドレーにしてお送ります!
共演はJ-pop中心としたカバーを演奏するギター&歌のデュオ、Dan&Kumi(ダンクミ)。Kumiちゃんの透き通るボーカルと、Danさんの超絶テクと奇を衒わない的確なギターアレンジは必見であります。本当に!
そんな訳で、世間がサッカーに燃えている最中、あえて音楽を聴こうという若干M気のあるあなた!あなたですよ!
東長崎においでなさい!そしてBAR魂で音楽を楽しむのです!
《竹宮30年 、愛を歌う》
6月3日(日) 20:00~
東長崎 BAR魂~Soul~ http://www016.upp.so-net.ne.jp/soul-tamashii/
出演 Dan&Kumi 竹宮30年