天下を統一した秀吉は、派手な暮らしをしながらも、民をまとめていました。
秀吉はよく、茶会を開きました。それには一般の人を呼び、楽しい会にしました。
ほかにも、バテレン(キリスト教の宣教師)追放令を出したり、太閤検地(たいこうけんち)や刀狩りをしました。
バテレン追放令は、秀吉が九州を平定して復興させている時に出されました。
初め、秀吉はバテレンと仲良く話し合いました。ところが、秀吉はその次の日にバテレン追放令を出しました。
その理由として、秀吉が初めてキリシタン(キリスト教の信者)の団結力を知ったことが挙げられます。バテレンを追放すれば、キリシタンの結束は防げる、という考えです。
しかし、このバテレン追放令をあまり徹底はしませんでした。
次は、太閤検地です。
これは、それまでは地域でばらばらだった田や畑の面積を統一したり、年貢の米を測る升を統一したりしました。
そして、この検地では田畑の持ち主ではなく、実際に田畑を耕している人が検地帳に載せられました。
なので、それまで田畑を誰かに借りていた人は、作あい(持ち主に払う小作料)を納めなくてもよくなりました。
最後は刀狩りです。
これは、農民たちの刀や槍、鉄砲を役人に渡すように、という命令のことです。
なぜそのようなことをするのかというと、農民が一揆をおこすのを、秀吉が恐れていたからです。
派手な暮らしをしながらも、きちんと秀吉は国を治めていました。