■眞木さんへの葉書 | 新聞広告.comブログ

■眞木さんへの葉書

■眞木さんへの葉書

20年と少し前、大阪からの片道切符で上京し、コピーライターを始めた時、
まさかそんな日が来ようとは、夢にも思っていなかった。

大きな憧れだった。

同じように、洋服は黒しか着ない。ずっと以前から
自分もそう決めるほど仰ぎ見、それはいまもって変わらない。

鮮やかに思い出せる、その日。
奇跡としか言い様のない巡り合わせに授かり、
震えそうになる手を抑えながら名刺交換をさせていただいたその日。
それまで進めていたある商品の雑広プレが没になったことを
ご存知でいて、僕がプレに向けてつくった7案のシートもお持ちだった。
 「コレとコレとコレとコレは、いけるよ」と4案に丸が付いていて
それぞれに統一されたイメージの簡単な絵が描かれていた。
「もう一度、これで提案してみたらいいよ」。
単発の雑広の企画が、その場でシリーズ広告の企画になった。

夜、大阪にいた頃に宣伝会議の養成講座で知り合い
一緒になった元コピーライターの妻とも、
凄いことになったねと喜び合った。
数日後、その案はプレを通過し、順々とカタチになっていった。

それからの約1年半。

氏の有名作も生み出した某社の広告群。お仕事をご一緒させていただいた
その歳月は、心底しあわせな時間だった。
背中を追い、手を動かし、胸をお借りした。お会いする一瞬一瞬が
財産になった。プレゼンはどんなに小規模でも、まるで劇場だった。
同じ舞台に並びクライアントに対しながらも、全感覚は隣を向いていた。
この先の人生には申し訳ないけれど、この時期に勝る充実感は
もう訪れないのではないか、そんな気もする。

チームとして仕事を進めていく最初の時に切り出すのは
どうにも憚られ、言えずにいたサインのお願い。仕事が完結した後、
それだけのために、他のチームにくっついて事務所をお伺いした。
 「ずっと憧れてました、サインをお願いします」。
そう言いながら、おずおずと作品ファイルを差し出した。
 「なに、ずっとそう思ってたの?」と笑って受け取られ、裏表紙にさらさらっと
ペンを動かされた。ありがたく受け取ろうと手を伸ばしかけると、
まだペン先を見つめておられる。もう一筆。
そこに書かれていたのは、ご一緒中の仕事で生まれたその有名作を、
見事にもじって応援歌に仕立てた、「らしい」一行だった。
唖然としている私の前には、優しく、また少年のような、透明な笑顔があった。

新聞広告を、こよなく愛されていた方だった。
4月の終わり、「こんなサイトを始めました」という案内葉書を4枚だけつくった。
2通は恩師に向けて。そのうちの1通をお送りさせていただいた。
ご覧になっていただいただろうか、どうお思いになったろう。
コピーについての話じゃなかったから、変に思われたかな・・・。
怖々ながらもいずれお聞きしたいなと思っていたけれど、
その機会はついになくなってしまった。
プレ間際の鬼気迫る沈黙。Vサイン。残像がいろいろ浮かぶ。

数え切れない人ひとりひとりの心に宝を置いて、いかれてしまった。
これからも大事に見つめ続けていきます。見ていてください。

眞木準さん、本当にありがとうございました。
ご冥福を心からお祈りいたします。

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