■新聞をとるのをやめた日 | 新聞広告.comブログ

■新聞をとるのをやめた日

■新聞をとるのをやめた日

新聞をとるのをやめていた時があります。

自宅はオートロックのマンションで
毎朝1階まで新聞を取りに行かねばならず、
また、紙面が多くても実際に読んでいる記事は
わずかだったり、にも関わらず、
置き場所は取るし、廃棄する時には
重い束を集積所まで運ばなくてはならない。
そうした理由で、とることを一度見直してみようと。

広告の仕事に就いていながら
新聞をとっていないというのは
ありうべからざるような感じがありましたが、
購読しない人が増えてきて、そういう生活に
身を置いて「お客様目線」に立つという
意味あいも少なからずあったりで、
勇気がいりましたが解約をしました。

数日間の「飢餓感」を越え、慣れてしまえば、
普通に生活している分には困ることはありません。
金融も経済も政治も社会も
大きな情報はネットで見ることができますし、
テレビの番組情報すら携帯で見ることができます。

近所の特売情報が入らないということや、
何より、「けさのあの広告見た?」といった
この業界ならではの話題に乗り遅れるという
手痛さはありましたが。

情報はネットで手にできますが、それはあくまで
自分が望んで手を伸ばした範囲の内で、です。
新聞に端から目を流していく中で、自分とは
縁遠かったフィールドでのモノやコトに出会う、気付く。
そして、自分の目の前、自分の内側の世界が広がる。
そうした「受け身でいる中での豊かな出会い頭」は
ネットでは意識しないと作れず、新聞ならではの
大きな特質であったことを痛感します。

もうひとつは、情報の共有ということ。
新聞があれば、家族のみんなが一応は目を通します。
夫婦、親子。性別・年代に関わらず、生活時間は違っても、
同じ情報を得て、それについて話す機会ももてる。
とくに新製品や新サービスの情報、いわゆる広告について、
新聞がなくなってからそうした話をしなくなったな、
以前は意外としていたなと思い返しました。これは
やめる時には別段意識していなかった思わぬ変化でした。

それぞれがそれぞれの関心に基づいて
情報を掴みに行き、その場所でしか広告に触れることがなく、
しかもその広告は、どちらかといえば、
効果効率を急ぐ販促的なものであったり。
広告がいま小さく小さくなっていっているような気がします。

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