【奇蹟】

 今年から、NHK新プロジェクトXが始まった。大好きだった番組の復活である。6月29日は、2005年5月、にやったものの、アンコール番組だった。翌日の日曜日、朝、その録画をみた。終戦直後の沖縄、当時の米軍政府の要請で、離島の感染症などの対策で生まれたという「公衆衛生看護婦」、今でいう、保健師がテーマだった。昭和46(1971)年、翌年の沖縄返還に際して、この「公衆衛生看護婦」制度が廃止されることが国会で決まり、沖縄離島の現状から、その廃止の反対運動、その当事者の方々の姿に自分のこころは奪われていった。同時に、沖縄返還直後に、つまり、昭和47年(1972)年、8月、大学のワンダーフォーゲル部の合宿(自分は2年生で先頭を任された)で、西表島を歩いたことを、思い出した。ハブ除けのため、テントの周囲に硫黄を焚いたこと、パイナップルを食べすぎて、口の周りが赤く腫れあがってしまったこと、お尻にボツボツができて、かゆくて、夜寝てから、自然に手がお尻にいって、ボリボリかいて、汚いパンツが血だらけになって、痛みを伴うようになってしまったことなどなど…残念ながら、写真は、湿気で、フイルムが駄目になってしまい、帰って現像できないことにガッカリして、なので、写真はまったく無く、その当時の西表島の風景は、頭の片隅にかすかな記憶で残っているにすぎない。そんな、思い出はさておき…そのころ…「公衆衛生看護婦」の人たちの、終戦後の並々ならぬ苦労や、沖縄返還直前の「公衆衛生看護婦」制度廃止反対運動など、全く眼中になく西表島に行った、19歳のころの自分(私小説では65歳までの自分をハンポと呼称)に、若かったとはいえ、本当に情けなさを感じてしまい…番組の中での「誠実」という言葉、や、「本当に救いたいと思ったら、何でもできる」というリーダーの発言に、すべては、新しい自分づくりに、必要不可欠なことを、アンコール番組を通して教えてもらったという…今というときに、必要があって見せられたのだ…『奇蹟』とは、こういうもの、なにげない時に、起こり、感じ、気づく、もの、じゃないかと、想った。

 プロジェクトXのエンディング…中島みゆきが歌う「ヘッドライト・テールライト」は、大好き、加えて、ブラタモリのエンディング…井上陽水が歌う「瞬き」も、大好き、そして、みんなの歌の、小田和正が歌う「こんど、君と」も、大好き…この三曲の中にあるフレーズにこころが沁みて、数年前に、自作フォークに繋がっていった。ユーチューブ未配信、7曲のうち、その二つ目は、「沁みる」…

 

歌が流れる 涙が流れる  一つのフレーズに 魂が ゆれる

中島みゆきから 生まれ ゆらゆらと

「ヘッドライト テールライト 旅はまだ終らない」

「ヘッドライト テールライト 旅はまだ終らない」

沁みる 沁みる こころに 沁みる

 

歌が流れる 涙が流れる  一つのフレーズに 魂が ゆれる

井上陽水から 生まれ ゆらゆらと

「未来の あなたに しあわせを贈る」

「記憶と 想い出を 花たばに添えて ひとときの夢を」

沁みる 沁みる こころに 沁みる

 

歌が流れる 涙が流れる  一つのフレーズに 魂が ゆれる~

小田和正から 生まれ ゆらゆらと

「想うひとがいる  想ってくれるひとがいる」

「小さな幸せが  支えてくれる」

沁みる 沁みる こころに 沁みる

 

歌が流れる 涙が流れる  一つのフレーズに 魂が ゆれる

どこからともなく 流れてくる ゆらゆらと

 

 アマゾンプライムビデオ…今の自分に、ジャストフィットする映画やドラマとの出会いも、決して偶然ではなく…見えざる世界から、必要があって見せられている…『奇蹟』という受け止めを……その中の、一つ、「雨に消えた向日葵」、あまり、見ることのないサスペンスドラマ。その中で、被害者の父親のセリフ…「どんな現実がふりかかっても…何とかなるはず…〈奇蹟〉が起きることを知っている」が耳に残って…亡き母の、晩年の言葉を思い出す。「なるようにしかならない」という口癖…なるようになったとき、それは、『奇蹟』であろうと…。自分の今、イッポ(17歳からやり直そうと決めた呼称)、24歳を、亡き母の魂は、『奇蹟』だと、驚嘆しているような気がする。

 

2024年7月2日