5月18日(1998年)の昼ごろ

やっとチケットが入手できたと

現地スタッフから知らせがあった。



装甲車が市中心部を警戒する事も

運転手は初めての経験、嫌がる

彼らに頼み込んでJalの支店へ。



切符は19日の未明の出発だった。

急いで自宅へ戻りパスポート、お金、

を用意、現地の友達に空港まで

付いて来てくれるように頼んだ。



高速の入り口は数か所で閉鎖、

乗ったとしても暴徒に金品強奪

も噂に流れていたので、力強い

味方として。



日ごろ家族づきあいの延長線上で

快く引き受けてくれた。 



空港ロビーは全国各地から臨時便

チケットのキャンセル待ちを求める

家族連れで足の踏み場もない状態。



私がオープンチケットとして持っていた

のは同国のナショナルフラッグ、一応

電話したがすでに埋まっていた。



搭乗券を入手するところで再入国ビザ

の取得がすんでおらず、大使館員の

助けを借りて無事出国した。



3週間くらいして再入国し仕事に、

この政変に乗じて非難の対象に

上がったのは華僑、暴徒から逃れ

るために子供を親しい現地人へ預け

車を売り、ドルに換金、近隣国へ逃避。



政変のほとぼりが冷めてもゴルフの

あと会話に上るのは自分がどのように

身を処したかが話題になった。



その時にも外国の人が聞くと耳を覆い

たくなるような単語、ローカルワイフも

出た、当時はなんとも感じなかったが

今は恥ずかしいです。



海外に住んでいると怖いこと、楽しい事、

日本で経験しえない事柄に出会う。

私は後者の場合が多いいと思う。

本日も此処までお付合い感謝です。



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