初めて海外で仕事をしようと思った
時、仲介していただいた方からあの
会社で何をしたいのですか。


自宅とシンガポールのオフィス間の
電話の向こうで問いかけられた。


当時の小型ワープロにモデムをつけた
機器で和英文で何をしてきたか、
これからやりたいことをまとめ発信。


相手はそれを読んでジャカルタの商社へ
担当部長がそれを読んで現地の社長へ


1か月後すぐジャカルタで社長と面会
するように仲介者からメールあり。


当時は往復フィックスの航空券を探したが
なかった。数日後、ノーマル便で現地へ


社長と面会後社長夫人とも
面会、社長は奥様にもどんな日本人か
決定の前に会わせたかったらしい。
2時間後
「何時から」これますか」
「パスポートの写しをください」
と言われた。


結局、翌年正月から赴任した、
当時、会社の提示した年俸は退職時と
同じ、現在のサラリーマンの二倍。
現地工場従事者の4,50人分の給料で
使ってくれた。


それから2009年まで6社の会社で
仕事をすることに、。いつでも前の会社で
何をやり、新しい会社では何をやりたいか

自分の頭の中で棚卸、それを英文で
最新の状態に明文化
いつでも出せるようにしていたおかげで
次の会社へ移籍する2,3か月前には
決まっていた。


最後の会社では当時の日系自動車会社の
邦人社員が帰国命令に反し、現地に留まり
たい、顧客側の現地人から要請があり

協力会社の社長に頼み、快く受諾。
結果:雇用する側、される側、
双方から喜ばれた事あり。

男なら自分の仕事は自分で探せと言いたいが
同胞ゆえに協力もまたよし。
現地では余り系列意識はなかった。

今日も、ここまでお付合い感謝です。
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